カズオ・イシグロ/土屋政雄訳 『わたしを離さないで』 (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

「わたしの名前はキャシー・H。いま三十一歳で、介護人をもう十一年以上やっています。」.提供者と呼ばれる人々の世話を行ってきた優秀な介護人のキャシー・H はもうすぐ介護人の仕事を辞めることになっている.ヘールシャムやコテージでの少女時代からはじまり,介護人として女として歩んできた彼女の半生を振り返る述懐.
切なく苦しい青春小説,と言い切ってしまおう.これは良かった…….不自然なおとなたちに囲まれて生活した,奇妙な子ども時代の思い出.いかにも青春小説らしい,面倒くせぇ友情と愛情の葛藤.そして迎える晩年.静かな語り口で綴られる物語は,ごく当たり前の青春小説のように収束していく.同時に物語の背景にある歪な世界も徐々に明かされてゆき,その青春像や親友たちの構図にも新しい意味が与えられていく.増していくのは真綿で締められるような息苦しさ.いくら苦しくとも回想,穏やかに語られるのはあくまでも思い出としての事実.しかしそれがかえって「現在」のキャシーがなにを思っているのか,想像を強く掻き立てられる.一人称だからこそ,「わたし」が本当に感じていることは伏せられる,というね.独特の用語を多用しながらも平易な語りのなかに自然に織り込まれていて物語の理解を妨げることもない.ただただ良かったです.