柴田勝家 『クロニスタ 戦争人類学者』 (ハヤカワ文庫JA)

共有された自己。日々の体調から、五感の全て、思い出、記憶、感情に至るまで、個人は脳内に築かれた自己相にライフログとして保存される。そうしたパーソナルデータは、成層圏に浮かべられた無数の通信雲(クラウド)を介して、絶えず巨大なデータの海にアップデートされる。そうして平準化された、人類という種の基準値――それが〈正しい人〉という概念。

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シズマは、自分の中に生まれた空虚を、見たこともない自分の理想郷で埋め合わせた。
しかし、シズマが生まれた時にはすでに、日本という国は存在しなかった。移民と流氓、数多くの戦争の後に仕上がった人間の転移が、日本という国がまとっていた幻想を剥ぎ取った。自分達の国は、単一民族国家だとする信仰が打ち破れた。
「君の故郷の人間達は、ずっと信じていた。文化と民族が一つであるはずは無いのに、純粋な国家であると信じさせられた。それは百年以上前、かのクニオ・ヤナギタが作り上げた幻想であるとも言える」
張りのある声が、博物館の大ホールに響く。

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「自己相」によって個々人の認知や感情を全人類が共有するようになった世界.共和制アメリカ軍は,自己相の導入を拒否する人々を「難民」として迫害していた.総合軍人理部隊所属の人類学者シズマ・サイモンは,アンデスの難民の中にいた,「黄金郷」から来たという白人の少女と出会う.
人類学の視点から戦争を理解する試み,民族という枠組みの消滅,自己相によって平準化された世界になお実在するという南米の黄金郷(エルドラド).そして,「感情」はどのようにして生まれ,どういう役割を担っているか,という.伊藤計劃に強く影響を受けたとTweetしていた(https://twitter.com/qattuie の2016-03-24を参照)ので,ある程度は予想していたのだけど,その想像以上に『ハーモニー』の正統な後継作の雰囲気がある.あのラスト後の世界で起こりうる問題点を,作者の興味と問題意識で描いている.個人的にすごく気になっているテーマなので楽しかったし,語られる説にいちいち知的好奇心を刺激される.設定の妥当性についてはなんともなので,誰か解説してくれると嬉しい.
人物の行動がどこかで見たようなわりには唐突で,考えに共感しにくいのが難点ではあるけど『ニルヤの島』(感想)よりずっと読みやすくなっている.「伊藤計劃以後」の「人類」を描いた民族学SFとして,あらすじやキーワードに引っかかるところがあれば手に取ってみるといい.