詠井晴佳 『きみからうまれる』 (ガガガ文庫)

――前線だ、と思った。

梅雨前線、桜前線。そこを境に気候や風景を一変させてしまう、決定的な基準……。

彼女の周囲から、モノクロの教室がぶわっと一斉に色付いていく。魔法のように。

――停滞した世界が、今のこの瞬間から、動き出すのかもしれない。

そんな予感だけが、先立ってあって。

幼い頃に別れた、名前も知らない初恋の少女が、高校生になった僕の前に現れた。頭の中に描いていた「理想の少女」そのものの少女、鈴代憬と再会し、新しい時間を過ごしてゆくふたり。だが、違和感はすぐに大きくなってゆく。

以上が、彼女の口から語られた全貌だった。到底信じがたい、嘘みたいな話。

さっきまで理想だったはずのその女が、人間の形をした化け物に見えた。

再会した初恋の少女との甘い日々、だが彼女は大きな秘密を抱えていた。作者の端書きによると「青春ラブコメ」らしいのだけど、これは青春ラブコメではなく催眠とか洗脳とかいうものではないか。終わったかと思った関係を、同情や哀れみやいくつもの感情から切り捨てできない感じ。メンタルが駄目になってベッドから起きられなくなる主人公。その家族。そういった諸々の描写にいやなリアリティがあり、読んでいてずんと落ちてくるものがあった。答え合わせと、前提をすべてひっくり返すちゃぶ台返しが明かされるラストにはすごくびっくりした。続きが読みたいので、ぜひ読まれてほしいし売れてほしいなと思います。

成東志樹 『世界の終わりに君は花咲く』 (電撃文庫)

兄さんは知らない。僕は知っている。兄さんは逃げた。

僕は逃げなかった。

それは、優しさであるはずだ。

僕の価値であるはずだ。

この街、星美咲には、高さ600メートルを超える大樹がある。ある日突然、局所的に降りはじめた「黒曜雨」と呼ばれる死の雨を、透明な雨に戻す救いの樹。星美咲が黒曜雨から救われて五年。その頃に僕らが犯した罪は、まだ許されていなかった。

「黒曜病」による世界の終わり、「白露病」による救いと永遠の別れ。ひとつの街とひとりの少年を中心に、その兄との関係、兄の彼女との別れ、その妹との再会といった、五年に渡る人間関係の変化を描いてゆく。ベースにガイア理論を置いた物語は不思議な読み心地がある(そもそも一般的なガイア理論だろうかという話でもあるが)。ハッピーエンドとは決して言えない小説だけど、少年の成長と変化をミクロとマクロに描ききった、良い作品だったと思います。

石川博品 『アフリカン・ヴードゥー・ジュージュツ』 (エンターブレイン)

「捨てるつもりだったが、捨てられなかった。親子の絆と同じだ。どこにいたって、どんなに仲違いしたって、親子は親子だ」

「それは絆じゃなくて呪いっていうんじゃないの?」

彼が言うと、ルヌエは笑って息子のドーギの襟を直した。

村の少年ルヌエは、村の旦那様のもとに滞在していたホンゴ・センシの弟子になる。ルヌエはセンシにジュージュツを学び、クロービを授けられる。ホンゴ・センシと別れ、次々と呪いが降りかかったルヌエはジュージュツとともに生まれ育った村を旅立つ。

アフリカの地に伝えられたジュージュツが紡ぐ、親子二代かそれ以上にわたる絆と呪いと祝福の物語。アフリカを舞台に、憎しみや恨みから呪いが生まれ、ジュージュツは大きな河のように流れの形を変えながら人々を運ぶ。自然や人間に対するどこかプリミティブで生々しい表現が読んでいてとても楽しい。アフリカ文学へのパスティーシュなのかな。ジュージュツと相撲の対決という「なぜ殺さなかったのか」と言いたくなるネタや、ルワンダをストレートに想起させる展開もあり、このテーマでやれることを全部やったと言える。比較的するっと読めるのがもったいなく感じられた。野暮な感想になるんだろうけど、もっと長尺で読みたかった。良かったです。

雪瀬ひうろ 『愛原そよぎのなやみごと 時を止める能力者にどうやったら勝てると思う?』 (ファミ通文庫)

「勉強も運動もできないし、料理とか裁縫とか女の子らしいこともできないし……」

「………………」

「……私、美少女であること以外何の取り柄もないんだ」

「ああ、その一点は揺るぎない自信があるんだね」

放課後の教室でアンニュイな表情を浮かべるクラスメイト、愛原そよぎ。彼女の風変わりななやみごと相談を受けた僕は、それから彼女のなやみごとと秘密に触れることになる。

「時を止める能力者にどうやったら勝てると思う?」「何もかもを凍らせる能力者をどうやって倒したらいいと思う?」。第1回カクヨムWeb小説コンテスト特別賞受賞の、アホの美少女との独特なおなやみ相談ラブコメ。テンポの良い会話主体のラブコメかと思ったら、最終章に入って怒涛の勢いがすごかった。ヒロインがアホである理由も、ヒロインの弟の性的嗜好がおかしい理由もちゃんとあるっちゃあるので、そんなに変なことをしているわけではないはず。なんだけども、力技にみえるというか、最終章の有無で印象が良くも悪くも変わる。けっきょく続きは出ていないようなので、変な話を読んだなあ、という感想だけが取り残されることになったのでした。

酉島伝法 『奏で手のヌフレツン』 (河出書房新社)

大風を縫うように奏でられている鳴り物の数々――骨に響くほどの厚い音で圧する千詠轤に荒削りな優雅さを持つ靡音喇、彼方から聞こえるような柔らかい咆流に軽やかに跳ね回る往咆詠、表情豊かな人の声を思わせる焙音璃――万洞輪、浮流筒、喇炳筒、波轟筒、摩鈴盤、渾騰盤、嘆舞鈴――それらが臨環蝕の前に立つ響主の指揮により、ひとまとまりの大波となって響かせているのは、阜易楽の由来でありながら、これまで霜の聚落では一度も奏でられたことのなかった〈阜易〉の譜典だった。

五つの太陽が巡り、八つの聚落が存在する球面世界、球地。ひとつの太陽が死に、リナニツェたちの聚落は滅亡した。蝕を生き延びたリナニツェは別の聚落に移り住み、奏で手としての過去を封印した。物語はリナニツェの子、ジラァンゼから始まる。

ここではないどこかの宇宙を舞台に、親子三代が織りなす物語が描かれる。膨大な数の造語で語られる、壮大で他にはない独自の宇宙は、イメージするのに時間がかかるかもしれない。反面、そこで語られるのは、ユーモアもカタストロフもある、NHKのような雰囲気のあるドラマ。楽器と演奏がモチーフにあるのはわかるだろうし、なんとなくだけど、作者の過去の作品よりも受け入れるのは容易い、のかな? まあ、自分の脳内イメージが追いつかない描写は多々あったので、どこかで映像化しないかなとは思う。楽しい読書でした。