さがら総 『変態王子と笑わない猫。13』 (MF文庫J)

変態王子と笑わない猫。13 (MF文庫J)

変態王子と笑わない猫。13 (MF文庫J)

思い出してほしいんだけど、読書とはほぼほぼ実質セックスなんだよね。意味がわからない人は、これを気にぼくらの話を読み返してほしい。

一本杉の丘で焼かれた12冊の横寺くんノート.ここで語られるのは,燃え残っていたわずかな断章.この世界だけの物語.

12巻で完結かと思っていたらまだ続いていた,「完全に完璧に全璧に幸せなエピローグ」.よくある体裁の短編集で,ハッピーエンドを迎えるのは嘘ではないのだけど,読み口はどこか切ない.ハッピーエンドの影には,他にありえた物語がいくつもあったのだな,みたいな.物語が終わったあとには,無限の物語が書き手と読み手の数だけ並行世界のように広がっているけれど,私のいる世界はここだけなのだ.びっくりしたのは,12冊の間ずっと「一人称を持たない」登場人物がメインにいたのが明かされたこと.その仕掛けに気づけていれば……! みたいな気持ちはある.本当に,「信用できないこと」にかけては信用できる作者だと思ったことよ.

松村涼哉 『15歳のテロリスト』 (メディアワークス文庫)

15歳のテロリスト (メディアワークス文庫)

15歳のテロリスト (メディアワークス文庫)

代表は度重なる質問に、次第に涙を流し始めた。

堪えきれなくなったのか、強い口調で発した。

「思う訳がないんだ。ある日突然、自分の周囲から犯罪者が出るなんて。そんなことを日頃から考えている人間がどこにいるんだ」

「すべて、吹き飛んでしまえ」.ひとりの少年が淡々と語るその犯行予告が動画共有サイトにアップロードされてから1時間後,JR新宿駅中央線ホームが爆発した.首謀者と目される少年の情報は,すぐにネットに出回った.都内の通信高校に通う15歳の少年,渡辺篤人.

15歳の少年はなぜテロリストになったのか.記者の安藤は,行方をくらました少年の足取りを追う.少年法と少年犯罪をめぐるサスペンス小説.家族を少年に奪われても,犯人を罰することができない被害者と被害者家族.法律に保護される加害者と加害者家族.無責任な正義の「声」は,被害者と加害者,両方を追い詰める.

これほどはっきりした問題意識を持つ小説は珍しいと思う.作中で語られる少年法の穴と少年犯罪の現状には取材の跡が見える.ただし,話運びはぎこちない.テロの真相は複雑というより不自然さや強引な印象が勝る.レーベルの都合もあるのだろうけど,このテーマで少年少女を主人公にした物語を描くのは難しかったんだろうな.250ページでは単純に紙幅が足りていない気もする.いつか,同じテーマで腰を据えて書いたものを読んでみたいかな.

デイヴィッド・ピース/黒原敏行訳 『Xと云う患者 龍之介幻想』 (文藝春秋)

Xと云う患者 龍之介幻想

Xと云う患者 龍之介幻想

「おい、聞えるか? お前は生れて来たいか?」

君の父親が母親の生殖器に口をつけて、こう尋ねている。――

「よく考えた上で返事をしろ。……」

父親は襖側の畳に這いつくばり、電話でもかけるように生殖器に口をつけて、こう尋ねる。――「お前はこの世界へ生れて来たいのか? どうなんだ?」

尋ねる度に、返事を待つ間、父親は卓子(テエブル)の上にある消毒用の水薬を口に含み、嗽いをし、母親の尻のそばに置かれた金盥に吐く。それから元の姿勢に戻り、口を生殖器につけて、また尋ねる。――「さあ、さあ、どうなんだ! お前はこの世界へ生れて来たいのか?」

これは,鉄の城の一つにいる患者X(ペイシェント・エックス)が語る,幻想と狂気に満ちた小説家芥川龍之介の物語.芥川龍之介の生涯を12の連作短編でたどってゆく.夏目漱石や菊池寛といった実在の人物や,明治の終わり,東京大震災といった現実の事件に,芥川作品の作中人物や芥川作品の思想が形を持って重なってゆく.

訳者あとがき(の著者の言)によると,芥川作品の英訳をコラージュする手法を取っているとのこと.類書として『高慢と偏見とゾンビ』をあげている.正直なところ,自分が芥川作品をあまり読んでいないので,十全に面白がるには教養が足りなかった.「~とゾンビ」を読んだ時は,(当時は気力があったので)あらかじめ『高慢と偏見』を読んで臨んだらとても楽しかった.巻末の参考文献リストと訳注をたどってから,再読してみるほうがよい,というかそうしないともったいないかもしれないと思った次第.



kanadai.hatenablog.jp

つかいまこと 『棄種たちの冬』 (ハヤカワ文庫JA)

棄種たちの冬 (ハヤカワ文庫 JA ツ)

棄種たちの冬 (ハヤカワ文庫 JA ツ)

カニを捕まえたいのは、食べたいからだ。食べることで、生きられるから。

だとすると、自分たちは「生きたい」から「死ぬかもしれない」ことをすることになる。生きたいという気持ちが、危ないことをさせる。サエはいつもここでわからなくなる。

死ぬほど危ないことをしなければ生きられないのだとしたら、生きるというのは何なのだろうとサエは思う。恐かったり、痛かったり、寒かったり、お腹が空いていたり。そんなのを抱えて、自分たちはどこに行こうとしているのだろう。

氷河期の到来による滅亡から逃れるため,人類がデータ世界へと移住して長いときが経っていた遠い未来.しかし,棄てられた物理世界にも,棄種と呼ばれるわずかな人間が生き残っていた.サエとシロ,ショータの三人は,暴力が支配する物理世界で,死に怯えながらも力を合わせて生きてきた.

飢えと暴力に怯える物理世界の人間は「生」を渇望していた.データ化され,体験(コンテンツ)を生んでは消費するサイクルを長く続けるデータ世界の生命は「死」に憧れていた.生とは,死とは,という問いかけの物語.同じ場所にありながら,重なることのない対極的な物理世界とデータ世界の関係は,コスタ・デル・ヌメロとその外側というか.非常に静かに終わりに向かってゆくストーリーは,ある意味では物語未満の物語かもしれない.ありのままの世界を比較的シンプルに,それでいてエモーショナルに描いている.とても良いものだと思う.あと,データ世界でのセックス描写は一読の価値がある.バラードの『クラッシュ』を思い出した.

酒井田寛太郎 『ジャナ研の憂鬱な事件簿5』 (ガガガ文庫)

ジャナ研の憂鬱な事件簿 (5) (ガガガ文庫)

ジャナ研の憂鬱な事件簿 (5) (ガガガ文庫)

人間の心は、キマイラだ。矛盾する二つの感情が、背中合わせで同居している。

海新高校ジャーナリズム研究会,略してジャナ研の,冬から卒業までの事件を描いた学園ミステリ完結巻.1952年のソヴィエト,北部第二強制収容所で起きた聖夜の出来事を,クライマックスの書かれなかった小説から読み解いていく「ロシアン・ウイスキー・ホーリーナイト」.結婚を決めた若いふたり,しかし女性が予兆もなく失踪した,その原因を探る「消えた恋人」.追い出し祭の事件と,卒業しても続く縁を匂わせる「ジャナ研の憂鬱な事件簿」.最終巻だからといって変わったことをせず,当たり前のように卒業が訪れ,余韻を残しつつ閉じていく.静かで落ち着いた,とても「らしい」ラストだったと思います.