伊藤ヒロ 『異世界誕生 2006』 (講談社ラノベ文庫)

異世界誕生 2006 (講談社ラノベ文庫)

異世界誕生 2006 (講談社ラノベ文庫)

「……おかしいわよね。仏壇なんて」

それは、もしかすると彼に言ったのではなく、ただの独り言であったのかもしれない。ほんの小さな、消え入りそうな声だった。

「だって……タカシは、異世界で……」

タカシは、異世界で生きているのだから。

2006年の春.主婦,嶋田フミエは,トラック事故で死んだ息子タカシがPCに残した設定とプロットを元に,夜な夜なたどたどしい手つきで小説を書いていた.そのことが恥ずかしくてたまらないタカシの妹,チカだったが,あるきっかけでその小説をインターネットで公開することにする.

いなくなった息子は,今でも異世界で元気に暮らしています.空虚な時代,ある母親の書いた拙い小説が,混沌を求めるネットと交わり,“異世界”が産声を上げた.愛と後悔と嘘から生まれた「異世界転生」の物語.真実が明らかになったあとに残るのは,現実とわずかな救い.令和の電車男かもしれないと思ったのだけど,そう呼ぶにはあまりに辛気臭く,露悪的である.

たくさんの人間に読まれることで,逃げ場だったはずの異世界は現実を取り込み,形を大きく変えてゆく.意欲的なテーマだし良い話だとは思うんだけど,物語の大前提に抱いてしまった大きな疑問符(小さいものもいくつか)が最後まで晴れなかったのは気になった.しかし読んでいていちばんびっくりしたのはあとがきかもしれない.テーマが気になったのであれば読んでみていいのではないでしょうか.

「うまく説明できないけど、なんていうのかしら――人に読んでもらうと“世界が成立”して、タカシがその世界で生き続けるって実感を感じて……。私の中だけじゃなく、ちゃんと外側にも世界があるって……だから、こうしなきゃいけない気がして……」

気がつけば、または母は泣いていた。

子供のように。ぽろぽろと大粒の涙を零しながら。

鳩見すた 『アリクイのいんぼう 運命の人と秋季限定フルーツパフェと割印』 (メディアワークス文庫)

脇役が主役をねたむのは、ごく自然なことだと思う。きっとテディとバーンも、ハイスクールでゴーディを見かけて、同じようにまぶしがったに違いない。

『ヒルにタマを吸われて気絶したくせに!』

なんて言いながら、ふたりの少年は陽のあたる場所に憧れたのだろう。

有久井印房はミナミコアリクイの店主が切り盛りするハンコ屋兼喫茶店.様々な事情を抱えた人々が集まるこのお店で,アリクイさんは彼らをもてなしながらハンコをおすすめするのであった.

『スタンドバイミー』を始めとした音楽と映画になぞらえたぼんくら浪人生の青春話あり,唐突に始まるあまりにほら話めいた因縁のバリツ対決(「ビッグバリツ」,「ザ・ラストバリツ」)あり.っていうか一巻からやってるあれバリツだったの!? みたいな驚きがあったり.同じ舞台,同じモチーフを描きながらも,章ごとに読み口ががらりと変わるのが楽しい,というかとてもうまいと思う.日本のレーモン・クノーと言っても過言ではあるまい.たぶん.引き続き追いかけてゆきたいと思っております.

谷春慶 『筆跡鑑定人・東雲清一郎は、書を書かない。』 (宝島社文庫)

筆跡鑑定人・東雲清一郎は、書を書かない。 (宝島社文庫)

筆跡鑑定人・東雲清一郎は、書を書かない。 (宝島社文庫)

その書を見た瞬間、胸の奥をギュッとなにかでつかまれたような気がした。

儚い、と思った。ところどころ文字を崩して書いているため、文章自体はなにが書かれているのか明確にはわからない。だが、この文字は確かに泣いていて、今にも消え入りそうなのだ。

書道家にして鎌倉学院大学一の変人,東雲清一郎.祖父の遺した手紙の筆跡鑑定を依頼するために声をかけた近藤美咲だったが,すげなく断られてしまう.

「気持ちに嘘はつけても文字は偽れない」.文字に込められたひとの想いが事件を起こす.4つの連作短編ミステリ.いわゆるお仕事小説と言っていいのかな.よく言えば堅実,悪く言えば地味.登場人物にいまひとつ魅力がなかった(総じて性格が悪い)のもあって,全体的な印象もそれなり止まりでした.

伴名練 『なめらかな世界と、その敵』 (早川書房)

なめらかな世界と、その敵

なめらかな世界と、その敵

己の持つ力で他人(ひと)の心を正しい方に均すことができるのであれば、いずれ歯止めがきかなくなるかも知れない。世界の大半を己に賛同する、正しい心の持ち主にすることができるのであれば、果たしてその誘惑に、自身が打ち克てるだろうか、そうお考えになったのでしょう。

いくつもの並行世界を自由に行き来する少女たちを描いた「なめらかな世界と、その敵」.ゼロ年代SFの勃興をルポルタージュ風に描いた「ゼロ年代の臨界点」.『ハーモニー』にトリビュートを捧げる,至上の愛の物語,「美亜羽へ贈る拳銃」.世界に平和をもたらした奇跡の聖女に宛てた妹の手紙,「ホーリーアイアンメイデン」.シンギュラリティに到達した1960年代ソ連を描いたおもしろSF「シンギュラリティ・ソヴィエト」.修学旅行帰りの生徒たちを乗せた新幹線を襲った未曾有の災害と,それが引き起こしたものを描いた「ひかりより速く、ゆるやかに」はまさに「いま」を描いたSFだと思う.「2010年代、世界で最もSFを愛した作家」の手による,『少女禁区』以来二冊目の短編集.どこからも文句のつけようがない.いずれ劣らぬ傑作揃いの短編集でした.

きみはこの物語の結末を知っている。

きみがこの物語の、結末なのだから。



kanadai.hatenablog.jp

斉藤すず 『由比ガ浜機械修理相談所』 (電撃の新文芸)

由比ガ浜機械修理相談所 (DENGEKI)

由比ガ浜機械修理相談所 (DENGEKI)

佐藤菖蒲がTOWA達に求めたのは、あくまで「人間らしくあること」であり、彼女達の性能の全ては、この一点にのみつぎ込まれている。このためTOWA達は人智を超えた思考能力を発揮するわけでもなければ、映画に出てくるロボットのような高い運動能力を持っているわけでもない。ビームも当然出さないし、ジェットで空を飛んだりも勿論しない。あまりにも「普通」に「人間らしい」ヒューマノイドなのである。

しかしその結果、彼女達の「人間らしさ」は常軌を逸した水準に到達した。

2023年の夏.勤めていた会社が倒産して,ニート生活を送っていた僕は鎌倉に移り住み,気まぐれに「由比ガ浜機械修理相談所」を開いた.ある日そこに現れたのは,医師の戸川と,ヒトに近づきすぎた機械である「TOWA」.僕が一級調律師として関わっていた「製品」だった.

第25回電撃小説大賞読者賞受賞作.元開発者と女性型ヒューマノイドの心寄せ合うひと夏の共同生活,その末に待つもの.ストーリーには難病ものとゼロ年代エロゲをハイブリッドにしたような趣がある.『天気の子』を観たときにも思ったけど,時代が一周まわった感があるなあ.

二時間アニメにするとちょうどいい情報量とテンポだと思うけど,正直食い足りない.自分が期待したSFチックな部分が少なかったというのもあるけど,ちょっと話運びに都合が良すぎるところがあるかなあ.ひとによってはかなり好くと思うけど,個人的にはあまり乗れなかった.