三萩せんや 『七夕の夜におかえり』 (河出書房新社)

「なるほど。私たち、何かを諦めてきたわけね」

ここまでの人生、順風満帆とはいかなかった。子どもの頃はなんだって叶う気がしていたのに。気づけば自分たちはいろいろなものを手放して前に進んできたらしい。

大学生の小川伊織は、三年に一度だけ開催される七夕の“大祭”を機に、二年半ぶりに地元に帰ってきた。兄のように慕っていた幼なじみの寺本聡士が死んでから三年。聡士の遺品であるスマートフォンを手にした伊織は、「神童」と呼ばれた聡士がやろうとしていたことと、聡士が死んだ本当の理由を知ることになる。

『時守たちのラストダンス』と同時発売。「時守~」と固有名詞の一部を被らせているけど、ほぼオリジナルの小説と言っていいかな。並行世界、アカシックレコードといった『ポッピンQ』のアイデアを、仏教的世界観に混淆させ、サイバーパンク的ガジェットを絡めることで、この世とあの世を接続する。アイデアの接続はとても良いと思う。避けようのなかった死の運命が明かされ、自由意志とは……、みたいな気持ちになったり、変わったあとの世界がそれ? ってなったりと、ちょいちょいと気になる突っ込みどころはあったかな。「時守~」と同様、二時間アニメのようにまとまったSF小説だと思います。



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原作:東堂いづみ/著:三萩せんや 『時守たちのラストダンス』 (河出書房新社)

だから気づかなかったのだ。

このときすでに何を忘れていたか。何を忘れつつあるのかに。

高知から東京へ引っ越した高校入学の日。伊純は入学式で四人の少女と出会う。初対面なのに、お互いに名前を知っている、どこかで会ったような気がする同級生たち。

高校生になり、それぞれに悩みを抱えるなかで再会した五人の少女たちが、再び奇跡を起こす。劇場アニメ『ポッピンQ』の、ラストシーンのその後の出来事を描いたノベライズ。続編にはなるけれど、単体でも問題なく読めるようにはなってるかな。直接の続きであることを大切にしている雰囲気は随所から感じられる。個人的には、映画館で観た劇場版がピンとこなかったのだけど、その延長上にあるこの小説も、印象はほぼ変わらないかな。劇場アニメ的なまとまった物語を求めるひとや、それこそクラウドファンディングに出資するようなひとであれば満足できるのではないかと思います。



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黒史郎 『ボギー 怪異考察士の憶測』 (二見ホラー×ミステリ文庫)

また、あの夢を見る予感がする。鼻の奥で鉄の臭いがするのだ。発作かもしれない。どちらにしても悪い兆しだ。再び、あの夢を見だしたら、また徒に背が伸び続けるのか。冗談ではない。そんなことになれば、いずれ私の背は、あの忌まわしい月に届いてしまう。



余命約半年を宣告されたホラー小説家、桐島霧。作家としての限界と、「祟り」が原因でまったく書くことのできなくなった彼に、著名な怪異サイト「ボギールーム」の管理人からメールが届く。あえて問いたい。祟りはあるのか。ここに記すのは、怪異考察士となった桐島霧の自身に降り掛かった「祟り」に関するメモであり、考察である。

お叱りを受ける覚悟で書くが、これは小説ではない。



余命宣告を受けたホラー作家が、子供の頃に経験した謎を追う。昭和50年代の新聞や雑誌、インタビューといった虚々実々の資料や、数十年ぶりに帰った故郷での取材から、ひとだま、火車、ろくろ首といった怪異を考察し、奇妙な風習に隠された「祟り」のシステムを解き明かしてゆく。一言でいうと変則的な実話怪談、なんだけど、物語のリアリティラインが面白いくらいぐわんぐわんと揺れ動く。ホラーのプロだからこそ書ける、博覧強記のぶっ飛んだホラーだと思う。ちょう楽しかったです。


全部が繋がっているのだと思った。世界中のあらゆる国で信仰され、忌まれ、怖れられているもの。それらは名前や伝わり方、受け容れる人々の宗教観・死生観が違っているだけで、みんな同じものを信じ、同じものを敬い尊び、同じものを忌み嫌って、怖がっているんだ。

かじいたかし 『僕の妹は漢字が読める4』 (HJ文庫)

男たちの話は、聞くに堪えなかった。

文化特区は嫌なところだと実感する。

保守的で、排他的で、凝り固まった頭の人間ばっかりだ。

ギンとクロハの前に、喋るパンティストッキングが現れる。自分が小説に書いたキャラクターが現実になったと喜ぶギン。夏休みが始まろうとしていた。

未来と言語と創作と妹をめぐる物語、第四巻。38世紀人から23世紀への干渉! 2012年5月初版発行ということもあって、ポリティカルなところとか技術的・風俗的な表現(今だったら間違いなくVtuberだろうなあ)とか、すでに古めかしく感じる部分も多い。まあ、そのへんは時代性であり、現実のほうが早く進んでいるということなのだろう。引用した部分をはじめとして、変わらないものもあって変な声が出る。読むまで間が空いたのが申し訳ないのだけど、なんとなく思い出しながらで楽しかった。

田中哲弥 『オイモはときどきいなくなる』 (福音館書店)

田んぼをぬけて、うら山につづくアスファルトの坂道をのぼってくと、道の両がわでずっとぽちぽちぽちぽち音がしてる。

木の葉っぱから水が落ちて、ぽちぽちぽちぽち雨がふってるように聞こえる

晴れてるのに雨がふると「キツネの嫁入り」なんていうけど、雨の音は聞こえるのに雨はふってないっていうのは、なんていうんだろうなあ。

「タヌキの土俵入り」とかかな。

小学生のモモヨと犬のオイモの春、夏、秋、冬を描いた童話。小学生の女の子の視点からの生き生きとした語りには想像の余地が多く、大人にとっては懐かしい田舎の空気と同時にを感じられるものが多いはず。線と色合いの淡い挿絵がまさにぴったり。色んなひとに読んでほしい童話でした。