長谷敏司 『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』 (早川書房)

――われわれの頭蓋の中にあるものは、つまりは、ただの内蔵にすぎない。

交通事故で右脚を失ったコンテンポラリーダンサー、護堂恒明は、知人の紹介でAI制御の義足を身に着けることになる。絶頂期を前に絶望に突き落とされた恒明は、リハビリと、右脚に宿ったAI義足という異種知性との対話と通じて、新たなダンスを表現しようとする。

ヒトのダンスとロボットのダンスを分ける、人間らしさはどこに由来するのか。脚を失ったダンサーとAI義足の共生、そして父と息子の対話から、人間性のプロトコルを探究する。10年ぶりの長編小説。ダンス、介護、AI。描かれるものすべてに、恐ろしいまでに力が入っている。この本から見出したものが、そのまま読者の属性になるのではないかと思った。鏡みたいな小説というのか。作者の知識と経験、問題意識が生み出した傑作だと思う。

駒居未鳥 『アマルガム・ハウンド2 捜査局刑事部特捜班』 (電撃文庫)

「いい演技だったよ。お前、泣けるんだな」

「それらしく見せるだけならね。化学式が短いものほど、体内で速く生成して放出できるの」

一瞬、テオは理解が追いつかずに固まった。涙からそんな話に飛ぶなんて想像もできない。

少女型の戦略兵器、イレブンが正式に加入した特捜班は、平和祈念式典の最中に起きたテロの事後処理に追われていた。そんなある日、特捜班は養子縁組詐欺に関わる惨殺事件の捜査に取り掛かる。

一組の夫婦が惨殺され、その子供は行方不明。「人体復元」を謳う組織の関与が疑われる事件捜査のため、テオたち特捜班は豪華客船に潜入する。ヒトとヒトならざるもの、四人のチームが活躍するクライムサスペンスの第二巻。一巻と同様、四人四色の個性を見せつつ、チーム捜査の面を強調している。捜査の進展をくどいほど細やかに、誠実に描いていると思う。そして一巻とは対照的な豪華客船という舞台を、ドレスにダンスを、しっとりと細やかに、華やかさをしっかり交えて描いている。力の入ったイラストもシーンにマッチしており、話を盛り上げるのに一役買っていた。俯瞰してみればシンプルで熱い刑事ドラマの面が強いんだけど、その中でどんなテーマを書くことができるか。幅の広さを見せつけられた気がした。楽しかったです。



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鳩見すた 『アリクイのいんぼう 愛する人とチーズケーキとはんこう』 (メディアワークス文庫)

このお店はモザイクガラスみたいだ。雑然としていて、きらきらもしている。

まさしく不思議の国のようだけれど、一向に夢から覚める気配はない。

ミナミコアリクイの店主が営む喫茶店兼ハンコ店、有久井印房。今回のお客様は、ロボットのように感情のないバリスタ、二人の姉に悩まされる末っ子、そして大家さん。

川沙希は望口を舞台にした、不思議なお店のシリーズ四巻。語り手の変わる章ごとに、語り口だけではなく、それぞれが見ているものへの解像度まで変わるのがほんとうにうまいし、それぞれの話にはんこを自然に絡めるのも見事。ミステリ仕立ての少し不思議な優しい人情噺、すっと引き込まれるようでした。

『ifの世界線 改変歴史SFアンソロジー』 (講談社タイガ)

しかし、それでもわたしは思ってしまうのだ。

――世界初の炎上事件はなぜ起きたのか?

――それは集団の狂気とでも呼ぶべきものだったのか、それとも仕掛け人がいたのか?

パニック ――一九六五年のSNS

歴史人物の心理への関心と、欧米をはじめとする先進国での正義主義の高まり、そして量子コンピュータの技術革新の合流によって生まれたのが、加速宇宙連続思考型シミュレーションを利用した、歴史人物の内面調査である。

二〇〇〇一周目のジャンヌ

イタリア南部の町タラントで、人々が死ぬまで踊り続ける奇病が発生した。治療法を求めるスペイン領ナポリ総督は、テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイムを呼ぶ。石川宗生「うたう蜘蛛」。とぼけた感じが楽しく、作者の真骨頂が存分に発揮された短編だったと思う。

1965年、開高健のベトナム取材に端を発した世界初のWeb炎上事件を考察する。宮内悠介「パニック ――一九六五年のSNS」。インターネットを「明るい闇」と評した小説は自分が知る限りは二冊目。インターネットの功と罪を、高度成長期とベトナム戦争の時代に書かれた『輝ける闇』に重ねて描いてゆく。身も蓋もないラストにつながる諦観と、この出来事をこういう風に調理するのか! という面白さが同時に押し寄せてくる。

多くの歌を残した天才歌人、式子内親王。その才能を人知れず支えた女房がいた。斜線堂有紀「一一六二年の lovin' life」。トンチキ小説かと思ったら、あまりに美しく、そして儚い恋慕が語られていた。

半径一里の巨大な石壁に守られた江戸の町。その生活を支える玉川上水に毒が流されようとしていた。小川一水「大江戸石郭突破仕留(いしのくるわをつきやぶりしとめる)。読んでいくうちにふくらんでいく違和感に答え合わせが用意されているのがやさしい。本書のテーマにいちばん沿ったSFだと思う。

正義主義の台頭を受けて、救国の乙女ジャンヌ・ダルクは20000回にわたる再検証を受ける。それは、死後七世紀以上が経って再びの魔女裁判だった。伴名練「二〇〇〇一周目のジャンヌ」。さすがの一言である。

小説現代に掲載されたSF短編の詰め合わせ。厳密にはアンソロジーとは呼ばないものの気がするのだけど、これだけの作家を揃えたSF短編集が、このくらいの厚さと価格、手に取りやすさでバンバン出てくればSFが死ぬことはないと思われる。それもまた別の世界線の話かもしれない。

ひたき 『ミミクリー・ガールズ』 (電撃文庫)

「排泄の様な生理現象は人間性の担保でもありますから」

「人間性の担保?」

「脳と脊髄を取り出すバイオティック手術は、究極的には機械の体に繋げたり、人間離れした体に繋げたりする事も出来ます。ですがそれは人間と言えるでしょうか? 食事や排泄といった行為を残す事により、私達人工素体(ミミック)は人間性を保っているんです」

2036年、第三次世界大戦が勃発した。百年前のそれとは違う、“クリーン”な攻撃の飛び交う新しい戦争。しかし、生身の兵士の需要はなくならなかった。戦場で右手と両足を失い、バイオティック兵となった米国素体化特殊作戦群のクリス・アームストロング大尉は、潜入と取り残された大統領の娘の救助を命じられる。

第三次大戦という「新しい戦争」の最中にある世界。少女型人工素体(ミミック)をまとった特殊部隊と国際犯罪組織の戦いを描く。「可愛いは正義」を文字どおりの意味で体現した、第28回電撃小説大賞銀賞受賞作。東西あらゆるアクション映画と、銃器や兵器からネタとうんちくを拾ってコテコテに煮詰めた、稀に見るボンクラ小説。深見真と宮澤伊織を足して割らないようなボンクラっぷりが全面に発揮されておりちょう楽しい。米兵がきららアニメに癒やされて奮起する小説が『神々の歩法』、米兵自らがきららアニメのキャラクターになる小説が『ミミクリー・ガールズ』と覚えるといい。

今回の任務で少女型の人工素体が選ばれた理由付けも良い。そこから「人間性の担保」や顔を持たない、持てない、あるいは顔を捨てさせられた人間たちに触れていくのもめちゃくちゃに良い。素晴らしく好みのボンクラ小説でありました。



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