長谷敏司 『あなたのための物語』 (早川書房)

あなたのための物語 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

あなたのための物語 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

人間の経験や感情を直接記述することの出来る言語として開発された ITP(Image Transfer Protocol).2038 年,ITP テキストの創造性を証明するために誕生した仮想人格《wanna be》(なりたい)は,その目的を果たすべく研究室で日々小説を執筆していた.だが《wanna be》の誕生から間もなく,自らの脳にも ITP を移植した主任研究者のサマンサ・ウォーカーは不治の病により余命半年を宣告される.
「脳を記述できる言語」を介して問われる肉体と脳の関係,そして人間を定義づけるものとは.ITP を勝手に利用してみっともなく苦痛から逃げようと試行錯誤し,「人間なんてたいしたもんじゃない」と言い切るエゴ丸出しのサマンサの取り乱しようが痛ましい.逃れられない死と苦痛を前にしたサマンサの鬼気迫る行動と思考は,脳,肉体,"物語"がなければ生きていけない人間を,まるで冷酷に分解していくような,恐ろしく凄まじいもの.サマンサの経験する「平板化」の描写も気持ち悪いくらいに直感的に分かりやすかった.些細なことだけど,作中で "ITP" の意味するものがハードウェア・ソフトウェア・言語・プロトコルと広いので分かりにくいところはあった.
「SF 史上、最も無機的で最も感傷的な"死"の情景」は傑作でした.