J・G・バラード/山田順子訳 『殺す』 (創元SF文庫)

殺す (創元SF文庫)

殺す (創元SF文庫)

その二十八分間のビデオは、一九八八年六月二十五日午前十一時ちょっと過ぎ、すなわち事件の三時間後に、レディング署犯罪捜査課の刑事によって撮られたものだ。ありがたいことに音が入らないフィルムで、どくどくしい形容ばかりの解説をがなりたてるテレビの音とちがい、必要でない音が入っていないというのはまことに喜ばしかった。カメラワークだけの最小限の動きは、被写体にふさわしいものだった。かげりのない夏の陽ざし、高級住宅のほとんど装飾のない建物正面──すべてが奇妙なほど白く、すべての感情が枯渇している。人間の従業員がひとりもいない、ハイテクのサイエンスパークにある実験室のセットを訪れている気にさせられる。

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1988 年 6 月 25 日の早朝.ロンドンの西にある高級住宅街,パングボーン・ヴィレッジで大量殺人事件が発生した.32 人の住人や使用人が殺され,13 人の子どもたちが行方不明になった.事件の二ヶ月後,ドクター・グレヴィルは内務省からいまだ真相の分からない事件の分析を依頼される.
高い塀と監視カメラで守られた高級住宅地で何が起こったのか.〈やさしさという独裁〉への反抗という不条理を,120 ページほどで鮮やかに切り取って見せる.警察ビデオの映像や事件の再現といった,ギラギラしたビジョンが強烈に頭に焼き付けられる.人間味をどこかに置いてきたような物語は,時代を下って『ハーモニー』や,現実の事件にも通じるものでもある.「だが、世界はそんなに優しく、条理が通ったものではないだろう。」(解説より)を思い知らされる.素晴らしい傑作でした.