グレッグ・イーガン/山岸真編訳 『TAP』 (河出書房新社)

TAP (奇想コレクション)

TAP (奇想コレクション)

それは、自分の息子のことがわからなくなってしまったと感じたからではない。じっさい、そんなことはない。しかし、わたしたちがおたがいに、とにかく理解しあえているという事実が、突然、最高にいいかげんなまじない(ヴードゥー)のように思えたのだ。自然言語は、根本的には変化することなく、無数の社会的・技術的な変革のあいだも持ちこたえてきた……だがTAPを前にすると、自然言語石器時代の道具のように見える。個々の原子を取りあげて恣意的に転位させることが可能な現代にあって、未加工のままの黒曜石の薄片のように。
そしてもしかすると、やがていつか、人と人との隔たりを埋めるための、試行錯誤と誤解のすべて、笑顔や身振りといった庶民的対処法のすべて、不器用で不完全だが善意の試みのすべては、制限のないコミュニケーションというめくるめく奔流に洗い流されてしまうのかもしれない。
わたしは部屋を出て、静かにドアを閉めた。

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すべてを完璧に調整されたデザイナーズ・ベイビーは世界をどう変えるか,「ユージーン」.アメリカ国内で流行り始めた伝染病はどのように広がっていったか,「銀炎」アイデンティティに関する哲学,「森の奥」総合情動(トータル・アフェクト)プロトコルこと「TAP」という新しい言語を前にした人間はどこに向かうか,「TAP」.ほか,「新・口笛テスト」「視覚」「悪魔の移住」「散骨」「自警団」「要塞」の全 10 篇.「現役最高のSF作家」ことイーガンの異色短篇集.ハード SF のイメージが強い作者だけども,ホラーあり SF ありと,かなり幅広い.作者に対する見方が少し変わったかも(たいして読んでないうえ三年近く積んでいた身で偉そうにすみません).全体的に突き放すようなラストの話が多い気がした.考えさせられるというか.そこから先にどんなものがあるかは読者が(も)考えろ,というメッセージも含まれているのかなと受け取った.素晴らしい作品集でした.