ニック・ダイベック/田中文訳 『フリント船長がまだいい人だったころ』 (ハヤカワ・ミステリ)

フリント船長がまだいい人だったころ (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

フリント船長がまだいい人だったころ (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

リチャードはひとり笑みを浮かべた。何時間も続く孤独な時間から自分自身を守るための場所――そこに彼はもう何度も行っているにちがいなかった――に向かって、彼の心が漂っていくのが見えたような気がした。「ぼくは音楽を嫌うようになった」と彼は言った。「親父が音楽を愛していたからだ。馬鹿なことをしたもんだよな。まちがいもいいところさ」彼は肘をついて頭を支えた。「今ならそれがわかる。ぼくはこれまで、何かを嫌うことで自分というものを定義してきた。あれやこれやを嫌うことに人生の時間を費やしてきた。でも、そうすることで、いったい何を得たのか、ぼくにはわからない。きみたちにはわかるかい?」

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アメリカ北西部の町,ロイヤルティ・アイランドは,秋から冬にかけてアラスカで漁を行う男たちに支えられていた.漁船の船長の息子,カルが14歳の年,漁業会社の社長ジョンが急死する.町の恩人であるジョンの死に動揺する町に,ジョンのひとり息子であるリチャードが帰ってくる.リチャードは,漁シーズンの前に会社を売却すると船長たちに宣言する.
漁に支えられた町の危機を,14歳の少年の目から描く.一年の半分を冬のアラスカの海で過ごす父親は何を思うのか.その家族と子どもは何を思いながら待つのか.青春小説であることは間違いないんだけど,そう一言で言ってしまうには恐ろしく苦い.正義感と罪悪感と嘘をごまかしながら,救いを待つ日々の倦怠感があまりに重苦しくのしかかってくる.読み終わってみると,「自分が何を必要としているかは常にわかっているが,自分が誰に必要とされているかはさっぱりわからない」という言葉に集約されていたのだなあ,と.この言葉と,結末を知った上で,頭から再読するとぜんぜん別の話に思えてくるんじゃないかな.