宮内悠介 『ヨハネスブルグの天使たち』 (ハヤカワSFシリーズJコレクション)

ヨハネスブルグの天使たち (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

ヨハネスブルグの天使たち (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

夕立の時間だ。窓の鉄格子を閉めるため、二人は急いで洗濯物を取りこんだ。陽が遮られ、空が暗くなった。風を切る音がした。まもなく幾千の少女らが降った。ある者はまっすぐに、ある者は壁にぶつかり弾けながら、ビルの底へ呑まれていく。そのうちの一人と目が合った気がした。スティーブは突っ立ってその光景を眺めていた。シェリルが手を握ってきた。雨は四十五分間つづいた。スティーブはまだ濡れていた洗濯物を干した。

ヨハネスブルグの天使たち

スティーブは知っていた。目指す国家が実現したところで、いずれはレーニンやチトー、あるいはマンデラのように一代限りの理想となるだろうことを。
スティーブは知っていた。ゆくゆくはクーデターが起き、書いた本が焼かれ、かつての仲間たちのように自分の死体が広場に晒されることを。
スティーブは知っていた。それでも、人々には理想が必要であることを。
いつか、誰かが紛争を止めねばならないことを。

ヨハネスブルグの天使たち

内戦状態にある南アフリカで,高層ビルから毎日決まった時刻に降り続ける日本製の「歌姫たち」が,民族紛争に究極的解決策をもたらすヨハネスブルグの天使たち」.9・11で崩壊するテロの再現を通じ,ふたつのタワーの間にあったものを探りだす,「ロワーサイドの幽霊たち」.一人の死は悲劇だが,百万人の死は統計である.「悲劇と統計の間の一点」を見定めたいというある日本人が,旧アフガニスタンを訪れる「ジャララバードの兵士たち」.多様性を許容するイスラムと,多様性を強制する新宗教が同居するイエメンを描くハドラマウトの道化たち」.移民を受け入れ多民族社会となった日本,高度成長期の名残りであり現代のテレジンである団地でただひとり歌い,繰り返し落ち続ける歌姫たち「北東京の子供たち」
五つの都市を舞台にした,五篇からなる連作短篇集.民族,宗教,紛争,貧富といった現代のあれこれを,ボーカロイドの遠い子孫と思われる日本製のホビーロボット(通称歌姫,そしてどの短篇でも「落下する少女」である)DX9を直接的間接的に関わらせつつ描く.どの民族にも属さず,すべての言語を理解することができるDX9が,さまざまなレイヤーで様々な都市に遍在する世界は,裏「ピアピア動画」(感想)と言ってしまえばこれ以上わかりやすい例はないと思うのだけど,それだけだと言葉がまったく足りない.劇的な変化や明白な前進ではなく,「今」を切り取っている,というかな.寂れまくった北東京の団地と,紛争をなくす手段としてのLSDを再評価するアイデアが個人的にハッとしたところ.