神林長平 『だれの息子でもない』 (講談社)

だれの息子でもない

だれの息子でもない

どう反論したところで、どこまでいってもこの調子だろうと、ぼくにもわかってくる。どういう考えが正しいのか、ではなく、どのフィクションが強いのか、であり、そうして勝ち残ったフィクションでもってヒトの世界は成り立っているのだという、そういう話なのだ。

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いまの日本では,各家庭に一台,携帯型対空ミサイル,略称オーデン改が配備されている.安曇平市役所の電算課電子文書係で働く「ぼく」の仕事は,死亡した市民が使用していた人工人格であるネットアバターを消去すること.ある日,ぼくの前に死んだ親父のネットアバターが現れる.
現代(2028年)日本の地方都市を舞台に,現実とネット空間が重ね合わされた世界の可能性を描く思弁小説.というくくりでいいのかな.オリジナルのヒトとネットアバターの区別,実在する哲学的ゾンビ,あらゆるものに存在する意識.どこかずれた日本をSF的に描くのかと思ったら,じわじわと思考のレイヤーが変わって思弁の世界に沈んでいくという,神林長平のあの感じである.神林長平らしいあの語り口での,二人称小説で描かれる二章や,ぼくと親父とKのやりとりは,なんかこう読んでてニヤニヤしてしまった.