持田冥介 『僕たちにデスゲームが必要な理由』 (メディアワークス文庫)

――禁止事項の増える檻のような公園がある。何かを言えば、すぐに揚げ足を取られる。言葉の一部を抜き出されて曲解され、簡単に炎上する。人と喋ることが怖いと思ってしまう。そういう世の中で、だから子どもたちが公園で殺し合う。

僕はこの文章を、きちんと接続していると感じた。

ある真夜中のこと。ふいに目が覚めた高校生の水森陽向は、不思議な焦燥感に導かれて公園にやってきた。昼とはまるで違った光景のそこでは、感情をぶつける場のない小学生から高校生までの子どもたちが集まり、夜な夜な一対一の殺し合いを行っていた。

第26回電撃小説大賞に応募された「問題作」。それぞれに自分たちではどうしようもない理由があって、僕たちは夜の公園で自主的に殺し合う。

親の無理解に悩み、学校や部活に悩む子どもたちを描いた、という意味では、よくある思春期小説なのかもしれない。その抑圧から逃れる手段として、公園という場と「誰も死なない殺し合い」を選んだことに作者の想いがかなり強く現れている、のだと思う。ロジックよりも子どもたちの感情に強く寄り添い、ストレートに描くことに心を砕いていると感じた。

言葉にするならきっと。

――阿久津と殺し合うために、存在している。

お互いにそう答えてしまうのは、詩的すぎるような気がする。というか単純に恥ずかしい。だから僕は代わりに、

「ありがとう」

と答える。

物騒なようでいて、物語には晴れやかさが伴っていた。クライマックスの殺し合いには晴れがましささえ覚えた。『千の剣の舞う空に』のような読後感だった。もう10年以上前の小説で、電子化されていないそうなのだけど、これが気に入ったなら探して読んでみて損はないはず。



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