花田一三六 『蒸気と錬金 Stealchemy Fairytale』 (ハヤカワ文庫JA)

私に残されていたのは、走ることだけだった。

――失礼。良く云い過ぎた。他に上手い策が思いつかなかっただけだ。裸で坂道を全力で駆け下りるなどという経験は、おそらく一生に一度のものだろう。二度とやりたくもないが。『衣服を着けずに運動を行うことによる精神的影響に就いて』とか何とか、小論の一つでもでっち上げられるかもしれない。少なくとも、改めて学んだことがあった。

世の中は意外と、やればできる。

蒸気錬金術(スチルケミー)の実用化によって発展を遂げる19世紀末ロンドン。三文小説家の私は、借金をして紀行文を書くことになった。目的地はイギリスの西に浮かぶ古き理法(ロー)恩寵(ギフト)の島、アヴァロン。

蒸気と幻燈が妖しくゆらめく1871年の世界を、ぼんくら三文小説家と口の悪い少女妖精のデコボココンビが征く。旅行記の体を取っており、語り手の小説家が異郷で見聞きしたものや出会った人、同行する毒舌妖精ポーシャとのやりとり、そして何やら変なことに巻き込まれたらしい境遇をユーモラスに語ってゆく。どうも結構なゴタゴタに巻き込まれた様子は窺えるものの、語りが妙にのんきなせいであまりそうは見えない、というのが話のミソと言える。こういうのも信頼できない語り手と言うのかな。さらっと読んでも楽しいし、アヴァロンでの出来事やこの世界を深く考察するのもまた楽しい。よいフェアリーテイルだと思います。