枯野瑛 『砂の上の1DK』 (スニーカー文庫)

「……アルジャーノン」

そいつは、頷いた。

「私は、アルジャーノン」

何度も、同じ言葉を繰り返している。

相変わらず表情らしい表情は見えないが、どことなく嬉しそうにも見えた。

いわゆる産業スパイで生計を立てている青年、江間宗史は、仕事で訪れた研究施設で昔なじみの大学生、真倉沙希未と六年ぶりに再会する。その直後、ふたりは施設への破壊工作(サボタージュ)に巻き込まれる。瀕死の重傷を負った沙希未を救ったのは、施設で研究されていた万能細胞、コル=ウアダエ。ただし、彼女は人間ではない何かになっていた。

産業スパイと、人間のようで人間ではない何者かとの逃亡生活。現代のスパイ小説であり、現代の『アルジャーノンに花束を』である。ノワールだかハードボイルドだか、そういったものへの憧れとロマンが存分に込められた小説だった。映画みたいだと自覚しながら銃を突きつけあうスパイに、人間を模倣して人間のようになっていく人間でないもの。なんとなく、この小説そのものに対する自己言及にもなっているのかなと思った。もちろん、フレーバーや名前を拾っただけの小説にはとどまっていない。作者の筆力もあって、非常に完成された現代の小説になっていた。とても良いものでした。