「平和を作るミツバチ? 世界が平和になればミツバチは不要になる? なるわけないじゃない。実際、そのミツバチを作るために、ヒエムスは犯罪で資金を得ていたんだから。あたしはね、平和なんて大人が作ればいいと思ってるの。子供を動員して作るものじゃない。だから子供を使って平和を作るとか言う連中なんて、焼けてしまえばいいんだよ」
あの村のように。
日本人の父と南アフリカ出身の母を持つ小学五年生の少年、唯イェリコは「ガイジン」として奈良の田舎町で疎外され不登校に陥っていた。イスタンブールで開催されるドローンレースにリモート参加したイェリコだったが、そのレースの最中、ドローンが観客の集まる市場で爆発する。
ドローンテロの道具として利用され、あっという間にネットに個人情報が拡散され行き場のなくなったイェリコは、「平和」をめぐる大人たちのエゴと争いに巻き込まれる。兵器として作られたドローンと、その操り手として幼い頃に脳に生体コンピュータを埋め込まれた生体兵器ミツバチ。ミツバチを利用して、ミツバチのない「平和」な世界を目指す組織ヒエムス。数年をかけて世界中をめぐり、あらゆる国籍、あらゆる人種の少年少女に触れ、戦争と平和の理不尽を描く。
世界各地での食事が、エキゾチックで多国籍、無国籍な物語の雰囲気に一役も二役も買っていた。目次を見て「食べ物地図」って何よと思ったら本当に食べ物地図でしたね。描写は詳細だけど、単純に「おいしそう」とはならないのもこの小説の味よね。物語の始まりであり、裏切りと復讐の象徴であり、体と心を蝕む毒でもあり安らぎをもたらす薬でもある、という「芥子」の薫りが通奏低音のように全体に漂っていた。味と薫りの小説でもあったのだと思う
あくまでも子供たちを中心に置き、大人たちの動きは最低限しか語らない。少年兵や紛争といったものから一線を引いた、独自の雰囲気を生んでいたのだと思う。守られて騙されて使われるだけの存在でなく、子供たちは子供たちで考えて行動しているのだ。小学生の年齢なのに女難がすぎるイェリコにもハラハラさせられた。良い小説でした。