二語十 『探偵はもう、死んでいる。12』 (MF文庫J)

確かに死者の思いは残る。

意志は消えない、遺志は死なない。でも。

「そうして死者が残した遺志を、自分だけが継げるものと思い込み、必死に自分を騙して生きていく。残された人間にできるのはそれだけだ、そこまでだ」

それ以上は踏み込んではいけない。禁忌に触れてはいけない。そこに触れた者は、必ず代償を払わなければいけない。

だがそれはつまり、俺自身のことでもあった。

《大災厄》による世界崩壊を食い止めたふたりの名探偵とひとりの助手は、《連邦政府》から新たな《世界の危機》である《調律者狩り》の存在を告げられる。容疑者として名前が上がったのは、彼らにとって忘れがたいひとりの少女だった。

世界の敵となったのは、死んだはずのひとりの少女と、ひとりの男だった。新章開幕となる12巻。《未踏の聖域》(アナザーエデン)と呼ばれる並行宇宙、真の正義と人工的な悪。館ものっぽい仕掛けも(珍しく)出てくるよ。どことなくライダーや戦隊もののノリを感じるのは、ラストの印象が強いのかもしれない。続きを期待しています。

野﨑まど 『小説』 (講談社)

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本を読む。小説を読む。読んでいる間は物語の中にいる。読んでいない時は泥の中のような気分でいる。大好きだった本を読めば読むほど自分が人として駄目になっているように思えた。小説を読むことが頭の中で逃避や慰めという言葉と繋がってしまうのが辛かった。そうでないと思いたいのにその根拠が見つけられない。無意識にハッピーエンドの本を探してしまっていた。小説をまっすぐ見られなくなっている自分に気づいて一人で泣いた。けれど読んだ。毎日生き、毎日読んだ。小説を読むことが生きることだった。

五歳で読んだ太宰治をきっかけに、内海集司の人生は小説を読むことに捧げられることになる。小学六年生になった集司は、その後の生涯の友となる外崎真と出会う。ふたりで小説家の髭先生が住む小学校近くの屋敷に入り浸り、ひたすら小説を読み続けた。

小説に出会い、そして小説に引き合わされて出会ったことで、人生が大きく変わったふたりの少年。その半生を通して、そも小説とはなにかを語る。作者の創作論、というよりは読者をも巻き込みんだ読書論、それらを全部ひっくるめた「小説」論と言うべきか。創作、評論、すべての書くこと、読むこと、ひいては生きることに通じる。読んでいる最中はこれほど明快な結論が導き出されるとは思わなかった。作者の作風を知っていれば一貫していることはわかるはず。良い小説でした。

川岸殴魚 『シスターと触手2 邪眼の聖女と不適切な魔女』 (ガガガ文庫)

「っていうか、なんすか、全裸の勇者って! おかしいでしょ」

「あくまでも異名よ。よく見て、正確には靴下だけ履いているから」

……本当だ! イブリルの言うとおり、よく見るとドナは靴下だけ履いている!

「だから、なんなんですかっ!」

アルスローン派のシスター・ソフィアたちは、パトロンのウルスラ伯にカリーナ王女を紹介され引き合わせられる。正教会に実質的に支配された王国に危機を抱く王女は、成人前の最後の休暇を、ソフィアたち邪教徒と行動をともにすることに選ぶ。正教会と邪教ことアルスローン派は、ともに失踪した女神アスタルテの行方を追っていた。

失踪した女神の姿を求めて「歪みのダンジョン」に挑む邪教徒たち、迫る全裸の勇者、不在の神と邪教のシスターの関係について。ベースはコメディなんだけど、ストーリーは思いのほか本格ダークファンタジーになってきた。作中で肌色が出ている時間がライトノベル史上でも稀に見る長さだと思うんだけど、そういうところも含めて、むしろギャグと肌色とシリアスがちょうどいいバランスになっているんじゃなかろうか。作者の今までのファンタジーと比べても完成度が一歩抜けていると感じています。

秀章 『純情ギャルと不器用マッチョの恋は焦れったい2』 (ガガガ文庫)

これを幸運と言わずに何と言う。

奇跡と呼ばずして何と言う。

強くそう思うからこそ、俺は改めて、筋トレに感謝した。

やはり筋トレは最高だ。

ダイエット計画を無事完遂した須田と犬浦。だがその裏では着実にリバウンドが進んでいた。「助けて、須田えも~ん!」。再びのダイエット計画を始めるふたり。季節は文化祭、そしてクリスマスに差し掛かろうとしていた。

秋から冬、ビッグイベントを経てふたりの仲は接近する。ギャルと筋肉の男女視点から描かれるラブコメ第二巻。サプライズはあまりないけど、さすがに手慣れたもの。シンプルで嫌味のない、ラブコメらしいラブコメだと思う。お疲れ様でした。

桂嶋エイダ 『ドスケベ催眠術師の子3』 (ガガガ文庫)

返される契約書を、俺は手に取った。

「ありがとう。そしてお疲れ様。ドスケベ催眠術師の子」

夏休み。ドスケベ催眠術師の子、佐治沙滋の前にひとりの少女が現れる。少女の名前は片桐瀬織――二代目ドスケベ催眠術師、片桐真友の妹にして、誰からも認識されない透明人間。セオリは、新興宗教とドスケベ催眠術が原因で離散してしまった片桐家をもとに戻してほしいとサジに依頼する。

誰からも認識されず、記憶すらされない少女の願いは、離散した家族をもとに戻すこと。家族の再会と、「ドスケベ催眠術師の子」ではなくなる佐治沙滋のそれからを描く。シリーズ最終巻。「青春ブタ野郎」シリーズへのリスペクトもコメられているのかな。ドスケベ催眠術師の「子」という呪い、合理的に生きるという生き方を、ふたつの親子、ふたつの家族を通して解いてゆく、という解釈でいいのかな。家族を書いた小説にもともと弱いというのもあるけど、しんみりとした、でもたしかな成長と変化が感じられるラストまで、とても良かったと思う。お疲れ様でした。