カズオ・イシグロ/土屋政雄訳 『日の名残り』 (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

あのアーチの下に立ち、その日の出来事を──すでに起こったこと、そしていま起こりつつあることを──さまざまに考えておりましたとき、私にはそのすべてが、これまでの執事人生で成し遂げたことの集大成のように感じられたに違いありません。あの夜の勝利感と高揚については、ほかにふさわしい説明はないように思われます。

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1956 年の英国.1920 年代,30 年代には多くの雇人,召使で賑わっていたダーリントン・ホールは,現在ではアメリカ生まれのファラディの手に渡っていた.執事のスティーブンスは,かつては長くダーリントン卿に,今ではファラディを主人として仕えている.アメリカへ一時的に帰ることにしたファラディは,スティーブンスに休暇を与える.たまにはドライブでもしてきたらどうか,と.
英国最高の文学賞ブッカー賞受賞作.執事の品格とは何か.イギリス西部へ,一週間ほどの旅に出たスティーブンスは,道すがら自らの執事としての半生を振り返る.ダーリントン卿に仕えていた日々の回想,尊敬すべき執事であった父のこと,ミス・ケントンとのココア会議の思い出.これらの内省から,スティーブンスの考える「執事の品格」を明らかにしていく.
執事としての強い誇りと頑迷さが合わさった老執事スティーブンスの人物像は非常にユーモラス.アメリカ人に仕えるために,「ユーモア」の出来に一喜一憂し,「練習」する姿には苦笑してしまう.執事萌え小説として読み始めるのも十分アリ.しかし一人称の語りは固く決して崩れない.あくまで内省であるが故に,作中で振り返られるのはスティーブンスの見える範囲までのこと.想像の余地が大きく残ることが強い余韻につながっている.スティーブンスの真意はひょっとしたら最後まで語られていなかったのかもしれない.
英国の階級社会における執事の役割や価値観も興味深く読んだ.恥ずかしながらオタク視点の「執事」像にしか触れてこなかった自分には,カルチャーショックも大きかった.訳もこれ以上なく美しい.傑作でした.