旭蓑雄 『フェオーリア魔法戦記 死想転生』 (電撃文庫)

例えば、と先生は続ける。本の限界を考えてみるといい。ページがなくなれば本と呼ばれなくなるか? あるいは文字か? 本が本足りうるには、何が必要なのか? 本の限界とは何なのか? その答えこそ、本という概念のデッドロックだ。
「そして死世魔法の目指す理想は、世界のデッドロックを外すことであるともいえる」

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世界は人の中にあるが、人は世界の中に存在している。独我論は昇華され、実在論は解体され、お互いの世界は境界線で一致する。
世界のデッドロックが、いま外れようとしている。

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死者の魂を操り,無尽蔵の兵器として運用することのできる死世学者の出現は,死の持つ意味を大きく変えた.稀代の死世学者,クレッシェンド・イマジナルと,その幼馴染みにして死霊器兵であるトトポンは,黒曜都市共和国(オブシディア)の傭兵として新教国からの首都防衛戦に参加する.
意識は世界の中にあり,意識は世界の中にある.参考文献としてラマチャンドランやらウィトゲンシュタインやらをあげている戦記ファンタジー.冒頭近く,死霊器兵と人間が槍衾をなす戦場の場面から浮かんだ第一印象は『屍者の帝国』ファンタジーかな.言葉のチョイスや問題意識もどことなく伊藤計劃っぽいかもしれない.多様性を求めて,感染し変化し増殖する魔法陣.思考では死を認識することはできない.死を認識する手段としての,“思考”という器官の外適応.頭の中にある「社会」.そもそも認識ってなによ,という.
衒学的なところもあるけど,温度低めで雰囲気十分のテキストで,次々と語られる理論がひたすら楽しい.この世と《彼の世》を利用したあるトリックや,「狂人」と評価されるヒロインの真に迫る描写も良い.傑作ではないかと思うのです.