野﨑まど 『バビロン I ―女―』 (講談社タイガ)

バビロン 1 ―女― (講談社タイガ)

バビロン 1 ―女― (講談社タイガ)

この男は、嘘を吐いている。

今も口を開いて話し続けているこの男が、その実、一切何も話していないことがよく解る。同じスタジオにいる人間に対して、テレビの前の人間に対して、話をする気がない。何も言っていない。心の中では全く別のことを考えていて、それがありありとにじみ出た顔が正崎の心を逆さに撫でる。

東京地検特捜部の検事,正崎善は,製薬会社と大学が関与した臨床研究不正事件を追っていた.捜査のさなか,麻酔科医の因幡が残した異様な書面を手に入れる.そこには,毛や皮膚が混じった異様な血痕と,紙を埋めつくす無数の「F」の文字が記されていた.

はじまりは製薬会社と大学の不正という地味な事件.それをきっかけに,「新域構想」と呼ばれる新たな特殊行政区分を巡る野望と,その裏に張り巡らされた大きな思惑が明らかになる.猛毒のような思想が,いかにして社会の価値観を変えるか,という導入の一巻.検事が信じる「正義」とそれに対する「悪」.それぞれに思想を持った登場人物と,キーマン(キーウーマン)である「女」がそれぞれを代表する.人間の持つ嘘や,気持ち悪さをこれでもかこれでもかと見せつけられる.一筋縄ではいかない.素晴らしい.

新しいパラダイムの提示によって,社会や科学や何かが大きく変わるフィクションが好き,というのもあるけど,人間の描き方が本当にうまいのだと思う.これは間違いなく傑作でしょう.続きも早い目に読むことにします.

谷山走太 『ピンポンラバー』 (ガガガ文庫)

ピンポンラバー (ガガガ文庫)

ピンポンラバー (ガガガ文庫)

太ももを隆起させ、足の親指の付け根で地面を掴む。爆発的に加速した身体は風を超え、音をも超える。

視界が狭まり、音が消えた。

そんな世界で俺が見つめるのはただ一つ。宙に浮かんだ白い点。その一点めがけて全力で腕を振るう。

ここは私立卓越学園.一流の卓球選手を養成する中高一貫校である.かつて『音速の鳥』(ソニックバード)と呼ばれた天才卓球少年,飛鳥翔星もこの学園の門を叩いていた.彼の目的はひとつ.小学生時代に唯一の敗北を喫した名も知らぬ少女を探し出し,勝利することだった.

卓球エリートたちが集う学園で描かれるスポ根小説.第12回小学館ライトノベル大賞優秀賞受賞作.実力主義のランキング制度,かっこいい二つ名,努力,友情,勝利,そして甘酸っぱい気持ち.数多あるスポ根のお作法を丁寧になぞった,オーソドックスな物語ではあるのだけど,卓球が好き,楽しいという主人公の気持ちが強く強く前面に出ている.「卓球が超好き」だから努力もいとわないし,「卓球で強いヤツが、世界で一番カッコイイ」からこそ勝利したい.これ以上の説得力があろうか.

嫌味のない素直な描き方がとても気持ちよい.スカッとする良い卓球小説でありました.

遍柳一 『ハル遠カラジ』 (ガガガ文庫)

ハル遠カラジ (ガガガ文庫)

ハル遠カラジ (ガガガ文庫)

こんな時でも、私が一番に考えるのは、自分の価値についてだった。

それがどれだけ卑しいことであるのかを薄々理解していながらも、自分の存在を容認されたいという内なる衝動が自己抑制を許さなかった。

誰からも必要とされない機械知性など、この世界にあってはならない。病に陥ってからというもの、私が最後にすがる生の衝動は、いつもそこにあった。

地球上から人類のほとんどが消滅した世界.イスラエルで開発された武器修理ロボットであるテスタは,主人である少女のハルとともに,自分を蝕むAIMDを治療できる医工師を求めて旅を続けていた.Artificial Intelligence Mental Disorder――論理的自己矛盾から生じる人工知能の精神障害にして,死に至る病.テスタに残された時間はそう多くなかった.

善性を与えられたがために,死に至る病とそれ以外のさまざまなものを失い,手に入れた人工知能の物語.デビュー作の『平浦ファミリズム』と同様,少し変わった家族,というか親子の物語でもある.

生まれたときから「善なる知性」であることを決定づけられ,人間に必要とされることを何よりも求める人工知能の善性とエゴを,非常に落ち着いたテキストで情緒的に語ってゆく.子の変化を見つめる親の視線,言葉と知性,人工知能が持つ好奇心,不安,絶望.デビュー二作目と思えない落ちついた優しい語りと細やかな描写に感情を揺さぶられる.そのままハヤカワ文庫から出ていても違和感のない,エモーショナルでしっかりとした,とても良い人工知能SFだったと思います.

―――フユ来タリナバ、ハル遠カラジ―――

日本語にはあまり明るくはなかったが、あの美しい言葉がヴェイロンの声とともに、自分の心の奥底にずっと残り続けていた。

私は、その少女を『ハル』と、そう名付けることにした。



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周藤蓮 『賭博師は祈らない④』 (電撃文庫)

賭博師は祈らない(4) (電撃文庫)

賭博師は祈らない(4) (電撃文庫)

「賭博師は勝たない」「賭博師は負けない」「賭博師は祈らない」。その三つの決まり事はつまり、ラザルスという名前を持つ人間の根本的な定義そのものだ。

そして、それらはもう虚しい繰り言と化した。

ラザルスたちがバースでの長逗留から帝都に帰還した.それまでの活躍によってすっかり有名人になってしまった“ペニー”ラザルス.望むと望まざるにかかわらず,警察権力と裏社会による帝都の権力争いに否応なしに巻き込まれてしまう.

舞台をバースから帝都に戻してのシリーズ四巻.フィールディング判事によって設立された私設警察組織ボウ・ストリート・ランナーズ.裏社会の支配者ジョナサン・ワイルドの二代目ジョナサン・ワイルド・ジュニア.その権力争いに立ち向かうかつての恋人同士,ラザルス“ペニー”カインドとフランセス“ヴァージン”ブラドックのふたりの賭博師.相変わらず,イギリスおたくが好き勝手に設定を盛り込んだようなノリノリの小説だと思う.本編もさることながら,あとがきからも「オタクの早口感」がビシバシ感じられて楽しい.ぼくの考えた最強の18世紀末,みたいな.

もちろんそれだけではなく,破滅と紙一重の緊張感を終始倦むことなく描いていると思う.日常と,事件と,ゲームの場面.それぞれに緊張感があって,カタルシスがある.「次巻で本編完結予定」なのがもったいない気もするけど,予告した上で完結を迎えられる小説のほうが今では少ないくらいだし,モチベーションが高いまま完結を見せてくれるのは楽しみ.お待ちしております.

枯野瑛 『終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか? #06』 (スニーカー文庫)

「けれど、力を合わせた人間は……心を合わせた人間は、本当に強いんです……あなたたち神々にも負けないくらいに、強いはずなんです……」

少女は。

少女であったものは。

人類を外敵から守る勇者(ブレイブ)であろうとした、たった一人の人間は。

人間であったことをすら失い、ひとつの〈獣〉へと変じようとしていたそれは。

怒りでも悲しみでも苛立ちでも憎しみでもない、空虚な感情を込めて、嘆く。

「なのに……どうして私たちは……こんなにも、バラバラなんでしょうね……」

遺跡兵装(ダグウエポン)モウルネン.それは,ひとの絆を結び仲間と力を合わせる聖剣(カリヨン)だと言われている.30年前と同じ惨劇が,再びコリナディルーチェに襲いかかろうとしていた.

かつて結ぶことのできなかった「絆」と,霧のように形を持たない〈獣〉,〈輝き綴る十四番目の獣〉(ヴィンクラ)が世界を壊そうとしていた.〈十七種の獣〉の誕生と人間種(エミネムトワイト)の滅亡と,すべての始まりを描く.「すかすか」第二部のクライマックスとなる第六巻.区切りの巻ということもあるんだろうけど,情報密度がなかなかのもの.誰も泣かず,誰も死なないことを望んだ,不器用なフェオドールがどんどん愛おしくなってくる.本当にいいシリーズだなあと思うわけです.