両生類かえる 『海鳥東月の『でたらめ』な事情3』 (MF文庫J)

「だって、加古川ですよ、加古川?」

でたらめちゃんは鼻を鳴らして、「言っちゃ悪いですけど、加古川にご当地グルメが二個も三個もある筈ないじゃないですか。常識的に考えて」

でたらめちゃんと東月が出会って三ヶ月半が経った夏休みの初日。みんなで集まってお好み焼きパーティーの最中に生まれた小さな違和感が、事件の始まりだった。同じ頃、東月はある悩みを抱えていた。

神戸、姫路、加古川をつなぐ母娘三代と奇妙な〈嘘〉。シリーズ第三巻は、嘘をつくことができない女の子、海鳥東月のパーソナリティに迫ってゆく。とても厳しくて恐ろしい、でも実は……な祖母と、対人恐怖症で引きこもりの母。ふたりの人物像の解像度が恐ろしく高い。友人奈良とのやり取りを通じて語られる部分もあわせて、ちょっと変わった主人公への説得力がぐっと増した。いちキャラクターから、血の通った人物になった瞬間を見せられたと言うのかな。

並行して描かれるのは、神戸市のご当地グルメが「播州のトップにすら立てない弱小市町村」こと加古川市に次々と奪われるという奇想。何を食ったらこういうのを思いつくんだ。奇想小説としてのまとまりは、過去二冊に比べれば着実に良くなってはいると思う。なんというか、独特の不思議な読み味なんだよね。少なくとも人間を描く技量に関しては心配する必要がなくなったと言える。ゆるりと追いかけて行きます。

夏海公司 『はじまりの町がはじまらない』 (ハヤカワ文庫JA)

――我々は〈はじまりの町〉という出し物を行う役者なんです。

MMORPG「アクトロギア」。サービス終了を約四ヶ月後に控えたある日、アクトロギアの〈はじまりの町〉の住人たちが、突然自我を獲得する。事情は分からないが、この世界はもうすぐ終わってしまうらしい。町長のオトマルは、秘書官のパブリナとともに、世界の終わりを阻止すべく行動を開始する。

どうやら自分たちの住むこの世界は「舞台」であるらしい。では観客はどこにいるのか? この世界は何者に創られ、なぜ終わらなければならないのか? 自我を得たNPCたちは考え奮闘する。作中人物が勝手に動いて、世界という舞台をなんとかする、文字通りのロールプレイ。星新一のショートショートにこういう話があったよね。世界はどのようになっているのか、その世界に産み落とされたNPCたちが、その法則を探究してなんとか動かしてゆく。その過程が、これぞという感じで楽しい。いかにもゲーム的な異世界ファンタジーかと思わせておいて、現代のSFならではのラストが用意されていたのも見事。ページ数の関係もあってか話がサクサク進むのも良い方向に作用していると思う。騙されたと思って手に取ってみるといい。良いものでした。

吉野憂 『最強にウザい彼女の、明日から使えるマウント教室(レッスン)』 (ガガガ文庫)

――何そんな熱くなっちゃってるの(笑)

日本有数の高校、私立鷺ノ宮学園にスカウトされた平凡な高校生、佐藤零はその入学初日、金髪の美少女から出会い頭にキスをされる。それが、マウンティングがすべてを司る学園生活の始まりだった。

マウンティング。それは、古代メソポタミアより伝わる神から齎された格付け方法。マウンティングは戦いの道具じゃねえ! 俺と優劣比較決闘戦(マウンティングバトル)で勝負だ! 『バカとテストと召喚獣』を思い出す、第16回小学館ライトノベル大賞優秀賞。クラス分けが学力や成績ではなく、相手の心を折っての精神的優位というのが実に現代的というかなんというか。ここ数年の身近なインターネットの汚いところを真っ当に煮詰めたような小説である。

精神的優劣を数値化するのはともかく、アバター化してバトルさせる意味はよくわからなかったし、ラストも安直だしと引っかかるところは多かった。ただ、汚い設定とは裏腹に、テキストはしっかりしているしメインのキャラクターは好感を持てるし、良いところも多いんだよね。長所と短所が非常にはっきりしているデビュー作だと思いました。

二語十 『探偵はもう、死んでいる7』 (MF文庫J)

「ヒトは強大な悪と戦っている自分に陶酔する。たとえその悪に屈しようと、自分たちはよく戦ったのだと声高々に慰め合う。己の願いが叶わないのも、この世界そのものが敵ならば仕方がないと納得できる」

《世界の危機》が去って一年、恒久的な平和が訪れた世界。君彦、シエスタ、渚の三人は大学に通いながら探偵事務所を設立し、探偵として活動していた。そんなある日のこと、事務所に《連邦政府》から一年ぶりの連絡が届く。

静かに忍び寄る《未知の危機》から世界を救うため、《名探偵》たちが再び戦いに赴き問いかける。闘争も犠牲も厭わぬ無欠の正義か、悪の存在を許容する妥協的平和。世界はどちらを選ぶべきなのか。そも、悪とはどこから現れるものなのか。シリーズのエンドロールにして、新たな始まりとなる第七巻。

成長した(存命の)登場人物たちが順を追って総登場する流れから、劇場版アニメを意識したのかなと思いながら読んでいったら、そのクライマックスで、シリーズのすべてをひっくり返しにかかってくるという。この仕掛けそのものはそう珍しいものではないと思うのだけど、七巻まで来たシリーズでこれをやるのは、なかなか勇気がいるのではなかろうか。割と好き勝手やってきたシリーズではあるけど、作者も修羅の道を往くなあというか。なんだかんだ楽しみにしています。

澱介エイド 『SICK ―私のための怪物―』 (ガガガ文庫)

「本当の恐怖に、振り切れた感情っていうものに、道理や美学なんて存在しないんだよ」

精神に寄生し、恐怖症を増幅させる概念生命体、フォビア。ひとの精神に潜入できる異能を持つ叶音と逸流の姉弟は、すべてのフォビアを殺すことを己の使命と課していた。ふたりが身を寄せていた立仙霊能探偵事務所に、ある日ふたりの高校生が相談に訪れる。

第16回小学館ライトノベル大賞優秀賞。個々人が持つ精神の〈ゾーン〉に潜って、恐怖という寄生虫を殺す。どことなく筒井康隆の『パプリカ』を思い起こす。動画配信サービスで共有された都市伝説に殺される、というのが現代的な部分なのかな。パーツはともかく、ある宗教施設の記憶と、現在進行形の事件が並行して語られる物語の全体は素直なものだと思う。作者の好きなものというかフェチがストレートに現れた小説だと思いながら読みました。