リン・ディン/柴田元幸訳 『血液と石鹸』 (早川書房)

血液と石鹸 (ハヤカワepiブック・プラネット)

血液と石鹸 (ハヤカワepiブック・プラネット)

「奴隷になるのは権利なんかじゃありませんよ」モーゼズは薄ら笑いを浮かべて相手の誤りを正した。
「そんなことはない、友よ。奴隷になることは、人間が持つただひとつの権利だ」

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1963 年サイゴン生まれ,1975 年に首都を脱出してフィラデルフィアに移住したベトナム系アメリカ作家にして詩人の手による 37 篇の短篇・掌篇集.収録作品のほとんどが数ページ以内,それどころか 1 ページやほんの数行だけで完結する,それこそ詩とも小説ともつかない作品もいくつも収められている.短さに比してショートショート的な(悪い意味での)無味乾燥さがほとんど感じられず,ブラックユーモアやアイロニーもたっぷりまぶされていながら露悪趣味はほとんどない.技術的な上手さなのかもしれないけど,なんとも不思議な読み心地で面白い.
「言葉」や「数」に強烈にこだわった作品が多く,印象に強く残った.前者では一冊の辞書しかない独房に放り込まれた若者が,その見たことも聞いたこともない言語を習得する過程で世界を作り直す『囚人と辞書』.新しい言語を作り出した偽英語教師の半生『“!”』『食物の招喚』は靴工場で働く貧乏女が料理本を読むことで人生を上書きする話.「彼女は物にではなく、言葉に酔いしれている。言葉しか食べていない。」(p.122)が印象的.以上の三篇が特に良かった.『キーワード』『自殺か他殺か?』『負け犬』『非常階段』『二人のインテリ』あたりも「言葉」の作品かな.「数」だと『13』『八つのプロット』『一文物語集』あたり.『一文物語集』は今でいう Twitter 小説のような味わいがある.
ほかには眠り姫コンテストの様子をユーモラスに描いた『美の崇拝者』,一生で千マイルを歩いた祖父の人生の『人と違っていたわが祖父』が良かった.全体として非常に満足な作品集でした.上述したとおり一話一話は短くすぐ読めるので,帯と訳者あとがきにあるように「まずは一本立ち読み」してみるのがいいと思うよ.