グレッグ・イーガン/山岸真編・訳 『祈りの海』 (ハヤカワ文庫SF)

祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)

祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)

ぼくはきいた。「では、生きていることがつらすぎはしませんか?」
男は笑って、「四六時中ってわけじゃないさ」

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「貸金庫」.眠って起きるたび,別の男として毎日を生きる男.「自分」が存在しない男がどうやって成長してきたかの部分,少し釈然としないところがないでもない.でもこのラストは好きだなあ.
「キューティ」はペットのような感覚で,単身で赤ん坊を産んだ男の話.悪趣味な感覚を露悪的に描く……と思いきや.居心地の悪さが絶望感に変わるラストが凄まじい.
「ぼくになることを」.黒い〈宝石〉を脳のバックアップとして同調させることが普通となった社会での自我のあり方.人間の脳を忠実に真似る宝石は,果たしてその人物と同一とみなせるのか?
母体から胎児へ渡る血液成分から,有害物質を選択的に排除する研究を扱った「繭」.不偏不党の社会に〈繭〉が必要とされ続ける条件は,一見して健康的な社会を描いているだけにぞっとくる.
誰もが読める未来の自分の日記,「百光年ダイアリー」.日記の形で未来から干渉される人々.もし日記がなかったらどんな人生を送っていたのか,という問いかけ.
ある男のもとに妻を誘拐したというムービーがたびたび送り付けられてくる,だが妻は実際に誘拐されてなどおらず.「誘拐」.自分の妻と,自分の生み出した,どこにもいない妻.
互いの思想・信条が透過しあうようになった世界で,アトラクタから離れる放浪者たち,「放浪者の軌道」.脳に直接浸透し,像を結ぶ信念がすげーラスタスクロールちっくというかグネグネしていて読むドラッグというか.
ミトコンドリア・イヴ」.すべての人類はひとりのイヴを起源とする.ミトコンドリアを量子的に分析することで,これを証明しようという試みをめぐるいざこざ.自分が「正しい」ことが証明されないと不安で生きていけない.
連続する並行世界を渡り歩く暗殺者,「無限の暗殺者」.絶えず変化する並行世界,それと「わたし」.テーマ的にもビジュアル的にも「放浪者の軌道」に近いものがある気がするけどあちらのほうが好みだな.
「イェユーカ」.ヘルスガードによって(大金と引き換えに)健康を保証される先進国.難病に苦しむウガンダ.テクノロジーはすべてのひとを幸せにするのか的な.
「祈りの海」.2 万年前に,惑星コブナントへ移住してきた人類の末裔は,聖ベアトリスを信仰して生活していた.けっきょくのところ,「海」と「ベアトリス」にみんな救われていたんだよね.
「人間の意志や可能性」を多様に描いた 11 篇.圧倒的.見事なまでに傑作ぞろいの素晴らしい短篇集でした.