オラシオ・カステジャーノス・モヤ/細野豊訳 『無分別』 (白水社)

無分別 (エクス・リブリス)

無分別 (エクス・リブリス)

おれの精神は正常ではない、と書かれた文章にわたしは黄色いマーカーで線を引き、手帳に書き写しさえした。それはどこにでもあるような文章ではなかったし、ましてや思いつきで書かれたものでもなく、初日の作業で読んだ文章のなかでこれほど衝撃的なものはなかったからだ。(後略)

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軍による少数民族虐殺を告発する,1100枚におよぶ報告書.ほぼ完成したこの原稿を校閲するために雇われ,仕事場を与えられた男は,その文章のあまりの美しさに魅入られ静かに狂っていく…….訳者あとがきを読むまで分からなかったのだけど,グアテマラの内戦が物語のベースになっているらしい(文中では明示されない).下世話極まりないユーモアと,落ち着いた狂気を非常に緻密に織り交ぜた文章は読んでいてとても楽しい.根っこにあるのはとても悲惨な事実なのだけど,メッセージを込めながらも非常に巧みに読ませてくれる.個人的にいいなーと思ったのが主人公の行動.主人公の男は報告書の気に入った箇所ををいくつも手帳にメモして(持ち出し禁止なので本来はNG),この文章がいかに美しく素晴らしいかをことあるごとに説くのだけど,誰にも理解してもらえない.それが引き金のひとつになって被害妄想や幻覚に取り憑かれる,という.どことなくシンパシーを感じるというか,冴えなくて親しみやすい主人公も魅力のひとつだと思ったのでした.