泉和良 『おやすみ、ムートン』 (星海社FICTIONS)

おやすみ、ムートン (星海社FICTIONS)

おやすみ、ムートン (星海社FICTIONS)

それに、名前を呼ばれて、「何だい」と答えると、なんとそこから会話が始まっちゃう。まるで名前と「何だい」は、宝箱を開けるのに必要な二つの鍵みたい。その二つはワンセットになっていて、正しく順番に挿し込むことで会話という宝箱を開けることができる。どんな会話なのかは開けてみてのお楽しみ。知らなかったことが分かる胸の高まる会話かもしれないし、あっという間に終わってしまうしゃぼん玉みたいな会話かもしれない。

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ムートンは羊のぬいぐるみのような外見をした小さなロボット.事故によりエウロパから離れつつある宇宙船の中で生まれた.泣き虫で寂しがり屋で言語ライブラリが不完全なムートンは,荒み狂いつつある宇宙船に変化をもたらしてゆく.
帰れる希望を失い,謎の宇宙人まで乗り込んだ宇宙船に生まれた,小さなロボットの成長.泉和良による宇宙漂流SF.優しくて健気な物語は,作者の今までの作風になかったものだと思う(もちろんそれだけではないのだけど……).言語ライブラリは不完全でぶきっちょだけど,全身で自分を主張するムートンが可愛らしい.ムートンの感情を,最初は「ざわめきの大地」で自然にビジュアル化して読ませてくれるのが,成長というか,社会性の獲得というか,だんだんと言語での表現に置き換わっていくのも面白いところ.
エウロパ付近で何かがあったらしい,なぜか宇宙人まで乗っているらしい,人間関係がいろいろあるらしい,という情報を意味ありげに小出しにするのだけど,細かい説明はされず核心は明らかにされない.破滅の予感と細切れの情報にジリジリされながら,最後まで読まされてしまった.行間を読ませるのが上手い,というのかな.誤解を恐れず言うと,夏休みの課題図書になってもおかしくなさそうな,良い小説だと思いました.