針谷卓史 『針谷の短篇集』 (講談社BOX)

針谷の短編集 (講談社BOX)

針谷の短編集 (講談社BOX)

その瞬間、何故だか分からないけれど、突如、僕は僕をモデルにして書かれ始めているであろう物語に思いを馳せた。針谷は成長することのない主人公を、成長することのない世界に閉じこめて満足しているのだろう。そうして、作者である彼自身も成長することを望んではいないのだ。

針谷の小説

第13回三田文学新人賞受賞作「針谷の小説」は,「頭のカラカラ」に煩わされながらデブの大学生がドツボにはまっていく話.引用部分にあるようにメタフィクションに触れてはいるのだけど,メタフィクションになることを慎重に避けた小説のようでもある.“あなた”への語りかけによる二人称の文体がしっとりと美しい「仇枕」は作者には珍しい正統派の恋愛小説……だと思って読んでたら,じわじわとホラーチックになっていく.なんか過程がすげーおっかなかったよう.無気力な野球部でひとりだけ張り切るピッチャー,その理由を描いたファイアボールは比較的スッキリとしたオチがあり,この本の中ではひとつだけテイストが違う感じ.「生徒会長小見山禅悟」はなんでも知っている生徒会長のいらん苦労を描いた書き下ろし.知るということは知らなくていいことまで知ってしまうことなのね…….
という,初出が三田文学からパンドラまで及ぶ恋愛小説四篇を収録した短篇集.やらなくていい苦労をしょいこみ,コミュニケーションに不自由があっていっぱいいっぱいになっている登場人物たち(基本的に全員どこかおかしい)にどういう思いを持つかで評価がガラリと変わってきそう.物語中でもつれにもつれた人間関係を解き明かす,いわば「解答編」みたいなものを意図的にばっさり切っている(唯一の例外が「ファイアボール」)ので,そういう意味でも好みが分かれそう.教科書的に言うなら,恋愛はミステリと違って唯一明確な答えなどないということなんかね.