ジョー・ウォルトン/茂木健訳 『英雄たちの朝 ファージングI』 (創元推理文庫)

英雄たちの朝 (ファージングI) (創元推理文庫)

英雄たちの朝 (ファージングI) (創元推理文庫)

いつもと変わらず、テーブルの上座には母が座っていた。母は、サー・トーマス・マニンハムとの会話に熱中していた。もしティムが想像するように、有力政治家を殺害するためテロリストがこの家に侵入したのであれば、かれらは母を殺せばよかったのだ。

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1941 年,イギリス政府は第三帝国と「名誉ある和平」を結んだ.その 8 年後,ハンプシャー州の田舎,ファージングにある屋敷で,下院議員ジェイムズ・サーキーが殺害される事件が起こった.スコットランドヤードの警部補ピーター・カーマイケルは捜査を開始する.犯人はアナーキストか,ボルシェヴィキか.やがて浮かび上がるきな臭い政争と陰謀の影.
イギリスとナチスが手を結んだ改変歴史世界.そのイギリスを舞台にしたミステリ三部作,その一.カーマイケルの視点の三人称と,ユダヤ人銀行家と結婚した政治家の娘の一人称視点,ふたりの視点を章ごとに切り替えながら進む.
イギリスがもうひとつの道を選んだことによる世界情勢の趨勢は新聞や伝聞の形で断片的に描かれる.チャーチルは野党に追いやられ,アメリカ大統領はチャールズ・リンドバーグ.世界各地では我々が知っているのとちょっと違った不穏の影が残る.一方,ふたりの周辺で実際に起こる出来事は,封建時代を引きずる風通しの悪いイギリス政治,水面下でのドロドロした恩讐,さらにユダヤ人差別.スケールを遠くにあるものは遠く,近くにあるものは近く描くことで,マクロとミクロが不可分で確かなひとつなぎにあることを思い知る,という.ここは「歴史改変」とひとことで言うと伝わりにくくなってしまう感覚かもしれない.