カズオ・イシグロ/入江真佐子訳 『わたしたちが孤児だったころ』 (ハヤカワepi文庫)

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)

それからアキラは起き上がって座ると、その半分ほど窓の上に引きおろされていた木製の日よけブラインドを指で示した。ぼくたち子供は、あの木製の羽目板を留めつけている撚り糸のようなものなんだ、とアキラは言った。日本人の僧侶からかつてこう聞いたことがある、とアキラは言った。ぼくたちは気がつかないことが多いけれど、家族だけではなく、全世界をしっかりとつなぎとめているのは、ぼくたち子供なんだ、と。もしぼくたちが自分の役割をきちんと果たさなかったら、羽目板ははずれて床の上に散らばってしまう、と。

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10 歳のころまで暮らしていた上海.ここで両親が行方不明となって以来,クリストファー・バンクスは孤児だった.1937 年.ロンドンで探偵として成功を収めていたバンクスは,かつての事件の解決をはかるため,戦火の上海へと赴くことになる.子どものころを過ごした土地へと,幸せで複雑な思い出を抱えながら.
進行形の事実と,昔の思い出が,バンクスの一人称でとりとめなく語られていく.父と母の思い出,子どものころの友だちだったアキラの思い出.有名人好きのサラ・ヘミングズ.ロンドンと上海の面倒くさい社交界.子どものころには分からなかった上海の社会.美しいテキストによる静かな語りから,じわじわと物語が足固めされていく感覚.
後半,事件の解決に向けて視野が狭まり,どう見ても理にかなわない行動を取ってしまうバンクスの姿は胸にせまる.ラスト近辺の非現実的な光景もあわせて,この徹底した一人称でなければ描けない息苦しさであったと思う.素晴らしい作品でした.