さがら総 『恋と呪いとセカイを滅ぼす怪獣の話』 (MF文庫J)

たとえば一人称で語られる物語世界において、主観視点にはおよそ根拠がない。

すべての地の文は疑ってかかる必要があるのだと、少女は言う。

十数年前、太平洋の海に大量の隕石が降り注いだ。その頃に生まれた子どもたちには、なんらかの「呪い」が芽生えたのだという。南の孤島、星堕ち島には、そんな「隕石に選ばれた」星堕ちの子どもが集められ、学園で教育を受けていた。

「真実はひとつだ。人の数だけ、嘘がある」

他人の感情に触れることができる少年、時間を5秒追加できる少女、世界に怪獣を見る少女。とある孤島の学園を舞台にした群像劇。あなたとわたしはわかりあえない。主観はすれ違い交わることはない。それでも誰もが恋をする。という。作中で触れているし作者の作風でもあるけど、短い時間の出来事をそれぞれの「主観」で語ることで、一種の叙述トリックめいた感覚と、触れてはいけないものに触れた背徳感みたいなものがある。「またこいつ主観の話してんな」(「あとがき」より)に加えて、「またこいつ星の王子様の話してんな」、「またこいつ猫神様(略」という話でもあった。そういう意味で、作者の集大成なのかもしれない。