そのとき、漠然としていた、人間に対する違和感が、ひとつの言葉に結晶した。
すなわち――。
人間は、テンションが高すぎる。
小さく生まれて小さく育ち、常にテンションが低い少女だった磯原めだか。大学卒業後の就職に失敗し、一ヶ月で郡山の実家に戻った22歳のめだかは、そのまま浴室のバスタブで暮らすようになる。
お腹のなかには、腎臓のかたちをした漬物石が、しんとうずくまっている。
無音――だった。
セミの声も、心臓の音すらもなかった。
世界では感染症により『断絶』が進んでいます、とお昼のニュースで言っていた。我々は『繋がり』を取り戻さなくてはなりません――。わたしには関係のない話だった。わたしは『断絶』からすらも『断絶』されている。
帯曰く、「これは、わたしがもう一度生まれるための、ちょっとふしぎな物語」。現代日本を舞台にした、和製マジックリアリズムというのかな。泥鰌髭のとぼけた父、パワフルな看護師の母、めだかの理解者で手先の器用な兄、そしてわたし。世間とのズレと生きづらさを自覚しつつもなんとか生きて、でも社会に出ることに失敗した女性と、その家族を描いてゆく。
バスタブ、能面、腎臓の形をした漬物石といったメタファーを随所に多用しつつ、それがメタファーであることをかなり明確に表明しており、そのうえで現実とイメージの境界をあいまいに壊しにかかる。この手口は作者でなければ書けないものだと思った。肩の力の抜けたユーモラスな語り口で、切なくも力強く、優しい家族の絆を描くことに成功していたと思う。あとがきや作者プロフィールを見るに、たぶん本来の意味とはぜんぜん違う意味で、「経験したことしか書けない」作家なんだろうな、と感じられた。傑作だと思います。