青島もうじき 『私は命の縷々々々々々』 (星界社FICTIONS)

意識あるわたしたちには、わたしたちに操作可能なすべてに対する責任が生まれながらにして備わっている。産み方を選ぶようになった生物は、地球上で人類だけだった。両立不可能な選択肢のうちからひとつだけを選ぶことは、その他の選択肢のすべてを意識的に選ばないことでもある。

わたしたちは責任を担う存在を維持する責任を持つ。それは、恒久的な可能性に対する責任であるとも言い換えられる。これまでわたしに勉強を教えてくれたどの先生も、生物の進化にそれを喩えた。きっと、学習指導要領がそうなっているのだと思う。

生物の生殖・生活環を模して人間へ導入する技術、倫理的生活環模倣技術(Ethical Lifecycle Biomimetics)によって、人類は新しい時代区分に突入していた。すべてを自分の意志で選択できるドウケツエビの生活環を持って生まれた高等部一年の浅樹セイは、しかし「自ら選択すること」に抵抗感を覚えていた。己の「進路」に鬱々とした悩みを抱えていたセイは、水族館で三年生の先輩、布目と出会う。

生まれてこなければよかった。すべてを選べるように生まれてきたわたしは、生まれてこないことだけは選べなかった。

すべての人類が目的を持って生まれ、幼児・子供・大人の間に明確な線引きがなされるようになった世界。産み方・生まれ方の自由を獲得し、絶滅しない義務を課せられた人類の愛や倫理について、未分化な性を持つ学生を通して語り、考える。何者かになろうとすることは、そうなれなかった人間のすべての価値を奪ってしまうこと。目的を持った個体であるという苦しみ。非常に思弁的であり、正直よくわからんところも多い。

シライシユウコのイラストに、清潔なディストピアの雰囲気もあって、『ハーモニー』の正統後継のようでもあり、その正反対のことを主張しているようでもある。倫理的生活環模倣技術(Ethical Lifecycle Biomimetics)に始まる造語や概念にはぐっと来るものがあり、楽しいのだけどよくわからん、よくわからんけど楽しかった、という感覚だった。傑作……と言い切っていいのか。深い思弁なのか、大いなる与太なのか、言い切る自信がないので、皆も読んで感想を教えてほしい。

未分化に生まれたわたしには、まだ生殖器がない。染色体の組数からして異なっているためにわたしの性別をなにか生物学的な特徴から決定することはできず、わたし自身も、それを決めるということがなにか責任を伴ってしまうのだと知っているがために、考えることを避けている。

まだ未分化の細胞としてただどろどろの組織であり続けることを許されている下腹部のあたりが、視線を受けてぐっと蠢いたような気がした。