意識あるわたしたちには、わたしたちに操作可能なすべてに対する責任が生まれながらにして備わっている。産み方を選ぶようになった生物は、地球上で人類だけだった。両立不可能な選択肢のうちからひとつだけを選ぶことは、その他の選択肢のすべてを意識的に選ばないことでもある。
わたしたちは責任を担う存在を維持する責任を持つ。それは、恒久的な可能性に対する責任であるとも言い換えられる。これまでわたしに勉強を教えてくれたどの先生も、生物の進化にそれを喩えた。きっと、学習指導要領がそうなっているのだと思う。
生物の生殖・生活環を模して人間へ導入する技術、
生まれてこなければよかった。すべてを選べるように生まれてきたわたしは、生まれてこないことだけは選べなかった。
すべての人類が目的を持って生まれ、幼児・子供・大人の間に明確な線引きがなされるようになった世界。産み方・生まれ方の自由を獲得し、絶滅しない義務を課せられた人類の愛や倫理について、未分化な性を持つ学生を通して語り、考える。何者かになろうとすることは、そうなれなかった人間のすべての価値を奪ってしまうこと。目的を持った個体であるという苦しみ。非常に思弁的であり、正直よくわからんところも多い。
シライシユウコのイラストに、清潔なディストピアの雰囲気もあって、『ハーモニー』の正統後継のようでもあり、その正反対のことを主張しているようでもある。
未分化に生まれたわたしには、まだ生殖器がない。染色体の組数からして異なっているためにわたしの性別をなにか生物学的な特徴から決定することはできず、わたし自身も、それを決めるということがなにか責任を伴ってしまうのだと知っているがために、考えることを避けている。
まだ未分化の細胞としてただどろどろの組織であり続けることを許されている下腹部のあたりが、視線を受けてぐっと蠢いたような気がした。