王城夕紀 『ノマディアが残された』 (中央公論新社)

「ウイルスの伝染力は恐ろしい。が、それ以上の伝染力をもつのが言葉だ。言葉は伝染する。伝染し、増殖し、変異し、感染した人間を変容させる。その感染力のおよぶ過程が、人間の歴史と呼ばれる。人間という種にのみ甚大な症状をもたらすウイルスが、言語だ。だから神は言語を散り散りにした。人間は罰と取ったが、全知全能による感染予防策だった。なのに人は愚かにも、自動翻訳をつくり出した」

定住する土地や国家、国籍を持つことのできない「動民」が一億人を超え、世界各地に点在する「ガーデン」と呼ばれる難民キャンプで、定住民との緊張関係を生み続ける時代。日本国外務省複製課は、アウトブレイクの発生したあるキャンプから失踪したエージェントの行方を追う。

残された手がかりは、「ノマディア」という、どんな地図に載っていない国の名前だった。「国家免疫学」に基づき治安維持される世界、技術に飲み込まれ変容した国家と人間の関係、DNAのように複製され増殖する言葉、特定の属性だけを狙うウイルスとそれを使用したテロ。誰もが語っているのに、誰からも顧みられない一億人の動民。絶望しか見えない世界の残された希望と、手。はしがきにあるように、まさに22世紀に向けて書かれた小説なのだと思う。これからのスパイ小説、現代SF小説の新しいスタンダードになりうる。とんでもない力作であり、読まれるべき傑作でした。


希望、という意味だと彼女は言っていた。

もはや彼のなかにだけ存在する思い出を、死者は見ていた。

彼女は言っていた、ともう一度呟く。

すべての子の名前は、希望の別名なんだと言っていた。